秦河勝と、渡来集団秦氏のユダヤ伝説、10月に「坂越の船祭り」
[住所]兵庫県赤穂市坂越1297
[電話]0791-48-8136
大避神社(おおさけじんじゃ)は、兵庫県赤穂市坂越にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
秦氏は、6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団とされる。秦河勝は秦氏の族長的人物として、聖徳太子の元で活躍した人物。
のち京都最古の寺とされる広隆寺を建立、聖徳太子より賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置したとされる。
広隆寺近隣にはもとは大避神と呼ばれた式内社である大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って広隆寺境内から分散し遷座した。
秦河勝は太子死後の皇極天皇3年(644年)、蘇我入鹿の迫害を避けて海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めた。
大化3年(647年)に80余歳で死去、そして地元の民がその霊を祀ったのが当社の創建という。
御祭神は大避大神で、秦河勝。現在は、天照皇大神・春日大神も併せて祀る。
神社正面の海上に浮かぶ生島には秦河勝の墓があり、神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。「生島樹林」として、国の天然記念物に指定されている。
当社には、秦河勝が弓月国から持ち帰ったという、天使ケルビム(智天使)の像とされる胡王面があり、我が国で現存する最古の雅楽の面として伝えられる。
秦河勝は猿楽の始祖とも云われており、観阿弥、世阿弥親子や、楽家である東儀家などが末裔を称し、金春禅竹の金春流も秦河勝を初世として伝えている。
「大避」は、『延喜式』以後とされ、それ以前は「大闢(だいびゃく)」だったという。中国語では「ダビデ」を意味する。
そのため、当社は渡来民族である秦氏によって日本にもたらされた景教を祀るために建立された礼拝堂で、坂越が古代ユダヤ人の渡来地であるとの研究もある。
河勝もイエス・キリストと同じ12人の弟子を伴っていたとされ、拝殿の天井絵、拝殿へ向う階段、境内のヤスライ井戸の石柱、船渡御の祭礼船などいずれも12であることも傍証。
『播磨国総社縁起』の記述では、養和元年(1182年)に祭神中太神24座に列しており、当時すでに有力な神社であったとされる。
例祭は10月第2土曜日で、船渡御祭。いわゆる「坂越の船祭り」で、荘厳華麗かつ勇壮な神事で、他に類をみない伝統的和船の祭礼。
大阪天満宮の天神祭、安芸厳島神社の管絃祭とともに瀬戸内海三大船祭りの一つ。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
使用される和船は伝統的造船技法により忠実に造られており、県の有形民俗文化財に指定されている。
江戸時代初期、御祭神の秦河勝が坂越に渡来した伝承を再現する祭りとして始まったとされ、「山のみか 海も紅葉の 秋まつり」と詠まれている。
本殿・拝殿・神門はいずれも江戸時代中期の再建。神門は、神仏習合の影響を受け、随神と仁王像が背中合わせに配置されている。
絵馬堂には、江戸時代以降の絵馬が40余り掲げられ、享保7年(1722年)の絵馬もあり、船絵馬としては日本で最古。
境内社に、新宮(聖徳太子・住吉大神・金比羅大神・海神社)、天満神社(菅原道真)、恵美須神社(蛭子神)、荒神社(竈神)、淡島神社(淡島大神)、稲荷神社がある。
当社の神宮寺だった妙見寺観音堂では、如意輪観音・六観音・弘法大師を祀る。左手の裏参道を登った山腹にある観音堂で、赤穂郡観音三十三ヶ所の一つだった。
【ご利益】
海上安全、水難除け、事業成功、諸願成就
【関連記事】
・国の天然記念物がある神社 - 数百年、数千年という単位で存在し続けている自然のパワー
・重要無形民俗文化財「坂越の船祭」 - 秦河勝が渡来した様子を再現した勇壮な祭
・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
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大避神社(おおさけじんじゃ)は、兵庫県赤穂市坂越にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
秦氏は、6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団とされる。秦河勝は秦氏の族長的人物として、聖徳太子の元で活躍した人物。
のち京都最古の寺とされる広隆寺を建立、聖徳太子より賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置したとされる。
広隆寺近隣にはもとは大避神と呼ばれた式内社である大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って広隆寺境内から分散し遷座した。
秦河勝は太子死後の皇極天皇3年(644年)、蘇我入鹿の迫害を避けて海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めた。
大化3年(647年)に80余歳で死去、そして地元の民がその霊を祀ったのが当社の創建という。
御祭神は大避大神で、秦河勝。現在は、天照皇大神・春日大神も併せて祀る。
神社正面の海上に浮かぶ生島には秦河勝の墓があり、神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。「生島樹林」として、国の天然記念物に指定されている。
当社には、秦河勝が弓月国から持ち帰ったという、天使ケルビム(智天使)の像とされる胡王面があり、我が国で現存する最古の雅楽の面として伝えられる。
秦河勝は猿楽の始祖とも云われており、観阿弥、世阿弥親子や、楽家である東儀家などが末裔を称し、金春禅竹の金春流も秦河勝を初世として伝えている。
「大避」は、『延喜式』以後とされ、それ以前は「大闢(だいびゃく)」だったという。中国語では「ダビデ」を意味する。
そのため、当社は渡来民族である秦氏によって日本にもたらされた景教を祀るために建立された礼拝堂で、坂越が古代ユダヤ人の渡来地であるとの研究もある。
河勝もイエス・キリストと同じ12人の弟子を伴っていたとされ、拝殿の天井絵、拝殿へ向う階段、境内のヤスライ井戸の石柱、船渡御の祭礼船などいずれも12であることも傍証。
『播磨国総社縁起』の記述では、養和元年(1182年)に祭神中太神24座に列しており、当時すでに有力な神社であったとされる。
例祭は10月第2土曜日で、船渡御祭。いわゆる「坂越の船祭り」で、荘厳華麗かつ勇壮な神事で、他に類をみない伝統的和船の祭礼。
大阪天満宮の天神祭、安芸厳島神社の管絃祭とともに瀬戸内海三大船祭りの一つ。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
使用される和船は伝統的造船技法により忠実に造られており、県の有形民俗文化財に指定されている。
江戸時代初期、御祭神の秦河勝が坂越に渡来した伝承を再現する祭りとして始まったとされ、「山のみか 海も紅葉の 秋まつり」と詠まれている。
本殿・拝殿・神門はいずれも江戸時代中期の再建。神門は、神仏習合の影響を受け、随神と仁王像が背中合わせに配置されている。
絵馬堂には、江戸時代以降の絵馬が40余り掲げられ、享保7年(1722年)の絵馬もあり、船絵馬としては日本で最古。
境内社に、新宮(聖徳太子・住吉大神・金比羅大神・海神社)、天満神社(菅原道真)、恵美須神社(蛭子神)、荒神社(竈神)、淡島神社(淡島大神)、稲荷神社がある。
当社の神宮寺だった妙見寺観音堂では、如意輪観音・六観音・弘法大師を祀る。左手の裏参道を登った山腹にある観音堂で、赤穂郡観音三十三ヶ所の一つだった。
【ご利益】
海上安全、水難除け、事業成功、諸願成就
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