奈良前期の創建、天王山麓、秀吉が山崎の合戦前に祈願した勝負の神
[住所]京都府乙訓郡大山崎町字円明寺小字鳥居前83
[電話]075-956-2044
小倉神社(おぐらじんじゃ)は、京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 乙訓郡「小倉神社」に比定される式内社(大社、月次・新嘗)。近代社格では郷社。
天王山の麓、小倉山山麓に鎮座する。境内は久保川谷筋にあり、南東に直線状に続いている。乙訓地方で最も古い神社の一つ。
小倉の「倉」は「御座」「岩座」を指すとされ、小倉は「神座」としての「座」を意味したという。
奈良時代の養老2年(718年)の創建と伝わる。御祭神は、武甕槌神・齋主神・天児屋命・比売大神の春日四神。現在の本殿も春日造。
平安京への遷都に際し、御所の南西坤の裏鬼門除けとして、皇室から崇敬された。嘉祥3年(850年)には正一位に達し、正一位小倉大明神と称した。
安土桃山時代、天正10年(1582年)の山崎の合戦に際し、羽柴秀吉は家臣の片桐祐作、脇坂陣内を遣わし、戦勝を祈願。
成就の報恩として、以後、毎年米3000俵を寄進したという。また、明智光秀は戦の前日6月13日に、当社に火を放ち、社殿が焼失したとも。
ただし、秀吉の天下取りを成就したとして、現在では、大切な勝負の前に参拝すると勝てると信じられているパワースポットとして認知されている。
江戸時代になると、幕府は御朱印地として山地20余野歩を寄進したという。幕末の元治元年(1864年)、禁門の変(蛤御門の変)では、徳川方が戦勝を祈願した。
明治6年(1873年)8月、村社に列し、明治10年(1877年)6月、式内社に認定、明治16年(1883年)5月4日、郷社に昇格した。
例祭は5月3日で、春季例大祭・春祭り。1月第2日曜日には宮座弓神事・鬼除弓神事があり、2月3日には節分祭・鬼やらい・豆撒きがある。11月3日が秋祭り。
かつて宮座が形成され、円明寺などを右座、友岡などを左座と呼んだ。各座より1基の神輿を出していた。また、例祭には能が演じられ、小倉能といわれた。
明治になるまで、長岡京市奥海印寺鎮座の走田神社の神輿が当社まで渡御していたという。走田神社にも正月13日に弓講があり、当社の弓神事と関連があるか。
本殿の他、拝殿と、割拝殿がある。他に、参集殿・社務所などが整備されている。
一の鳥居は、江戸時代前期の元禄年間(1688年-1703年)に建立された。偏額「従一位小倉大明神」は、平安時代の貴族で能書家の小野道風の筆によるという。
二の鳥居も一の鳥居と同時期の建立とされる。御神木として、樹齢500年-600年の樅と杉の巨木がある。
境内外社に、熊野神社・八幡宮・天照皇太神宮・若宮社・天満宮・稲荷神社・龍王神社・若宮神社・やちまた宮・岩座神社などがある。
背後の竹林の中に鳥居前古墳がある。4世紀末の前方後円墳とされ、被葬者は小泉川流域を支配したとみられ、当社との関連が指摘される。
文化財として、江戸時代の本殿瑞石垣内の石灯籠、神幸祭板絵・侠客奉納相撲板絵などの拝殿絵馬がある。
また、江戸時代作とされる神輿2基、鎌倉時代作とされる木彫隋神2体・木彫狛犬が伝わる。
【ご利益】
武運長久・勝運、地域安全、地域振興

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小倉神社(おぐらじんじゃ)は、京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 乙訓郡「小倉神社」に比定される式内社(大社、月次・新嘗)。近代社格では郷社。
天王山の麓、小倉山山麓に鎮座する。境内は久保川谷筋にあり、南東に直線状に続いている。乙訓地方で最も古い神社の一つ。
小倉の「倉」は「御座」「岩座」を指すとされ、小倉は「神座」としての「座」を意味したという。
奈良時代の養老2年(718年)の創建と伝わる。御祭神は、武甕槌神・齋主神・天児屋命・比売大神の春日四神。現在の本殿も春日造。
平安京への遷都に際し、御所の南西坤の裏鬼門除けとして、皇室から崇敬された。嘉祥3年(850年)には正一位に達し、正一位小倉大明神と称した。
安土桃山時代、天正10年(1582年)の山崎の合戦に際し、羽柴秀吉は家臣の片桐祐作、脇坂陣内を遣わし、戦勝を祈願。
成就の報恩として、以後、毎年米3000俵を寄進したという。また、明智光秀は戦の前日6月13日に、当社に火を放ち、社殿が焼失したとも。
ただし、秀吉の天下取りを成就したとして、現在では、大切な勝負の前に参拝すると勝てると信じられているパワースポットとして認知されている。
江戸時代になると、幕府は御朱印地として山地20余野歩を寄進したという。幕末の元治元年(1864年)、禁門の変(蛤御門の変)では、徳川方が戦勝を祈願した。
明治6年(1873年)8月、村社に列し、明治10年(1877年)6月、式内社に認定、明治16年(1883年)5月4日、郷社に昇格した。
例祭は5月3日で、春季例大祭・春祭り。1月第2日曜日には宮座弓神事・鬼除弓神事があり、2月3日には節分祭・鬼やらい・豆撒きがある。11月3日が秋祭り。
かつて宮座が形成され、円明寺などを右座、友岡などを左座と呼んだ。各座より1基の神輿を出していた。また、例祭には能が演じられ、小倉能といわれた。
明治になるまで、長岡京市奥海印寺鎮座の走田神社の神輿が当社まで渡御していたという。走田神社にも正月13日に弓講があり、当社の弓神事と関連があるか。
本殿の他、拝殿と、割拝殿がある。他に、参集殿・社務所などが整備されている。
一の鳥居は、江戸時代前期の元禄年間(1688年-1703年)に建立された。偏額「従一位小倉大明神」は、平安時代の貴族で能書家の小野道風の筆によるという。
二の鳥居も一の鳥居と同時期の建立とされる。御神木として、樹齢500年-600年の樅と杉の巨木がある。
境内外社に、熊野神社・八幡宮・天照皇太神宮・若宮社・天満宮・稲荷神社・龍王神社・若宮神社・やちまた宮・岩座神社などがある。
背後の竹林の中に鳥居前古墳がある。4世紀末の前方後円墳とされ、被葬者は小泉川流域を支配したとみられ、当社との関連が指摘される。
文化財として、江戸時代の本殿瑞石垣内の石灯籠、神幸祭板絵・侠客奉納相撲板絵などの拝殿絵馬がある。
また、江戸時代作とされる神輿2基、鎌倉時代作とされる木彫隋神2体・木彫狛犬が伝わる。
【ご利益】
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