乳の出がよくなる清水、馬が走って田を潤す、人を噛まないマムシ
[住所]京都府亀岡市余部町走田2
[電話]0771-22-4715

走田神社(はせだじんじゃ)は、京都府亀岡市余部町走田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「走田神社(丹波国・桑田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

社伝によれば、奈良時代の和銅4年(711年)に創祀された。御祭神は、彦火火出見尊豊玉姫尊彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の3柱。

境内に「垂乳味池」と呼ばれる清水がある。豊玉姫尊が葺不合尊を出産した後、御子を波瀲に残し、龍宮に帰ってしまった。

そこで、残された葺不合尊は豊玉姫尊の妹である玉依姫により養育されることになった。

その際、玉依姫はこの清水の水で粥を作り、乳の変わりとしたという。乳の出の悪い婦人がこの清水で作った粥を食べると、出がよくなると伝わる。

その池に玉依姫命を祀る弁財天社がある。また、この池が「亀の池」だろうか、こんこんと湧き出すその水は、後述の「不鳴川」の水源となったという。

また、昔、社殿に掛けられていた絵馬から馬が毎夜抜け出て草を食べ歩き、 やがてその蹄の跡が窪地となり川となったといわれる。

この川は増水の時でも川音を立てないことから「不鳴川」とも呼ばれる。この川は、干ばつの時でも枯れることがなく、近隣の田畑を潤した。

この川の改修や浚渫などをする時は、 故事にしたがって馬の好物である青豆を供え、祈願する風習が今も続いている。

この馬が走って田を潤すという故事が、社号の「走田」の由来だという。

この「亀の池」に当社の神使とされる亀が放たれるが、氏子はそれを決していじめないという風習があるという。竜宮伝承、浦島太郎伝説との関わりも考えられる。

中世の記録はなく、江戸時代に入って、亀山藩松平家の支配地である安町村・余部村・河原町村・新家村・穴川村の氏神として厚く尊崇されたという。

本殿は、江戸時代前期の元禄15年(1702年)にほぼ現在と同じ規模のものが建築され、盛大な正遷宮の祭典が行われた。

境内の燈篭は寛永元年(1624年)建立のものを最初として、元禄、享保、元文、宝暦、安永、寛政、天保と年号を記した20基を越す数が列立している。

明治に入り、亀岡町制がしかれると、その西部の氏神として、東の鍬山神社と旧亀岡町を二分した形となって今日に至っている。

末社として、長吉稲荷の別称をもち、倉稲魂命を祀る稲荷社があり、商売繁盛を祈願する人が絶えないという。

他に猿田彦命を祀る百太夫社、大国主命を祀る大国主社、経津主命を祀る経津主社がある。

当社の森および近辺は口丹波一の「まむし」の棲息地として知られるが、この毒蛇は決して人を噛まないという言い伝えがあって、害を受けた話も聞かないという。

なお、『延喜式神名帳』山城国乙訓郡に当社と同名の神社が記載されているが、関連は不明。

【ご利益】
子宝・安産、子育て、病気平癒、五穀豊穣
走田神社 京都府亀岡市余部町走田
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