鯉の伝承と禁忌、丹波の語源「丹の池」、平安期以来の競馬と立花
[住所]京都府亀岡市大井町並河1-3-25
[電話]0771-22-5066

大井神社(おおいじんじゃ)は、京都府亀岡市大井町並河にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「大井神社(丹波国・桑田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

奈良時代の大宝2年(702年)、京都市西京区の松尾大社から月読命市杵島姫命が亀の背に乗って大堰川を遡上してきた。

しかし、八畳岩辺りから保津の急流で進めなくなったので、鯉に乗り換え、現在の亀岡市河原林町勝林島の在元淵にまで至った。

それを見た工匠が社を建立したという。これが現在の河原林町に鎮座する大井神社だという。現在は当社の境外社。その後、桂川の対岸、現在地に遷ったと伝えられる。

社伝では、和銅3年(710年)、元明天皇の勅命によって創建された。御祭神は、月読命・市杵島姫命。

この由緒により、当社では鯉が神使とされ、氏子は鯉を食べることを禁忌とし、端午の節句に鯉のぼりを上げることもない。

一方で、亀岡盆地は太古、「丹の湖(にのうみ)」と呼ばれる湖だったという。それが無くなる時に当地に水が乾き残り、旱魃でも枯れない「大いなる井戸」として永く残った。

それが「大井」の名の発祥の由来とされる。そしてこの井戸に万一のことがあれば平野が湖に戻るか、旱魃地帯になると憂いて、井戸の神である木俣神、別名を御井神が勧請された。

この「丹の湖」が丹波の語源になったという説がある他、現在も当社境内には「大井」の名残とされる神泉「丹の池(にのいけ)」がある。鉄分を含み赤色をしている。

両者を合わせたような話として、木俣神が保津川を鯉に乗って上がってきたと伝えられ、通称「鯉明神」と呼ばれたとも。

亀岡盆地が湖で、その開拓が行われたという伝承は他に、市内千歳町千歳の出雲大神宮、東別院町神原の徳神社、上矢田町の鍬山神社、篠町山本の桑田神社、保津町立岩の請田神社、大阪府高槻市田能の樫船神社、所在不明の餅籠神社などにある。

平安時代の貞観8年(866年)に競馬を行うことを許されたという。この伝統は、後述のように、現在も続く。

安土桃山時代の天正4年(1576年)、明智光秀の兵火で焼失し、天正12年(1584年)に豊臣秀吉の命によって再建された。

造営奉行の片桐且元は、「正一位大井大明神」の扁額を自著し、奉納したといわれる。

明治6年(1873年)、郷社に列し、明治10年(1877年)6月に式内社と公認された。また、明治40年(1907年)3月には神饌幣帛料供進神社に指定された。

平成22年(2010年)に鎮座1300年を迎えるにあたり、本殿は全面修復された。

境内にある阿弥陀仏像は、かつて大井神社境内に別当寺として存在した東光寺で祀られていた本地仏とされる。

例祭は10月16日で神幸祭。隣接する馬場で武者姿の氏子による競馬(くらべうま)が奉納される。平安時代以来の伝統。

8月19日に花祭があり、各町内から1-2メートルの大松を柱にした立花が奉納される。「大井神社の立花行事」として、府の無形民俗文化財に指定されている。

1月15日にはとんど祭がある。

境内社に、天満宮(菅原道真公)、稲荷神社(大宮姫命)、出雲神社(大己貴命)、松尾神社(大山咋命)、蛭子神社(事代主命)、愛宕神社(火具槌命)、大原神社(伊邪諾命)、厳島神社(田心姫命)、春日神社(建御賀豆智命)がある。

【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、地域安全、家内安全(公式HP
大井神社 京都府亀岡市大井町並河
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