神楽谷9ヶ村の産土神、神楽大明神、坂上田村麻呂が神勅奉じた伝承
[住所]兵庫県丹波市青垣町小倉字宮の下575
[電話]0795-87-0432
佐地神社(さちじんじゃ)は、兵庫県丹波市青垣町小倉宮の下にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「佐地神社(丹波国・氷上郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。御祭神は、天宇受売命。神楽谷9ヶ村の産土神。もとの鎮座地は「村の奥、但馬堺の峯」とも、「宮ケ谷の中腹」とも伝える。
境内案内や兵庫県神社庁によれば、「奈良時代の和銅3年(710年)、坂上田村麻呂が神勅を奉じ、子の苅田麻呂により社殿を造営」とある。
しかし、田村麻呂は平安時代初期の活躍で、生年は天平宝字2年(758年)で、まだ生まれていない。
また、苅田麻呂は田村麻呂の父であり、子ではなく、父としても、その生年は神亀4年(727年)であり、当社由緒と合致しない。
ともかく、聖武天皇(在位:724年-749年)の御代、五畿七道の諸国に中臣と斎部の両氏を遣わし、幣を奉じた一社とされるという。
以降、古代、中世を通じて、『延喜式神名帳』に記載されるも、由緒は不詳。いずれかの時代に、現在地に遷座したと考えられる。
近世、江戸時代中期の明和4年(1767年)4月9日に社殿造営の記録が残る。「神楽大明神」「志牟良大明神」と称された。
明治6年(1873年)、郷社に列し、大正11年(1922年)には県社に昇格した。例祭は10月8日。現在は10月第2土曜日。
【ご利益】
スポーツ・技芸上達、厄災除け、交通安全、健康長寿、子宝など
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[電話]0795-87-0432
佐地神社(さちじんじゃ)は、兵庫県丹波市青垣町小倉宮の下にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「佐地神社(丹波国・氷上郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。御祭神は、天宇受売命。神楽谷9ヶ村の産土神。もとの鎮座地は「村の奥、但馬堺の峯」とも、「宮ケ谷の中腹」とも伝える。
境内案内や兵庫県神社庁によれば、「奈良時代の和銅3年(710年)、坂上田村麻呂が神勅を奉じ、子の苅田麻呂により社殿を造営」とある。
しかし、田村麻呂は平安時代初期の活躍で、生年は天平宝字2年(758年)で、まだ生まれていない。
また、苅田麻呂は田村麻呂の父であり、子ではなく、父としても、その生年は神亀4年(727年)であり、当社由緒と合致しない。
ともかく、聖武天皇(在位:724年-749年)の御代、五畿七道の諸国に中臣と斎部の両氏を遣わし、幣を奉じた一社とされるという。
以降、古代、中世を通じて、『延喜式神名帳』に記載されるも、由緒は不詳。いずれかの時代に、現在地に遷座したと考えられる。
近世、江戸時代中期の明和4年(1767年)4月9日に社殿造営の記録が残る。「神楽大明神」「志牟良大明神」と称された。
明治6年(1873年)、郷社に列し、大正11年(1922年)には県社に昇格した。例祭は10月8日。現在は10月第2土曜日。
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