欽明朝に勅命の幣物、樹齢300年・県内5位の大カヤ、2月に厄除大祭
[住所]兵庫県丹波市春日町字多利2467-1
[電話]0795-74-0646
阿陀岡神社(あだかじんじゃ)は、兵庫県丹波市春日町字多利にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「阿陀岡神社(丹波国・氷上郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
小富士山と呼ばれる姿の良い、標高231メートルほどの小山がある。その南、東から竹田川に注ぐ支流の右岸に鎮座する。
創建年代は不詳。主祭神は吾田鹿葦津比売命(あたかあしつひめのみこと)。木花開耶姫命と同一神とされる。
もとは現在地の東方約1.7キロの日ケ奥(日ヵ奧)に鎮座していたという。古跡は「あだか山」と呼ばれる。
ある時の洪水で現在地まで流れてきた。本殿背後の社叢の巨石群に御祭神の御魂が留まったという。
飛鳥時代の第29代欽明天皇3年(543年)、春日部乙身が勅命によって幣物を捧げたところ、間もなく慶雲が起こったので、現在地に祀ったという。
戦国時代の明応元年(1492年)8月に再建されたとの記録が残る。江戸時代に入り、「阿陀岡大明神」と称された。
江戸時代中期の元文4年(1739年)7月、八朔祭の松明の火で炎上、寛保2年(1742年)9月に再建し、現在に至る。
公卿や武家の崇敬が厚く、明治維新の元勲、岩倉具視は自筆の神号を奉納した。
明治6年(1873年)、村社に列し、大正元年(1912年)、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和3年(1928年)11月、県社に昇格した。
現在までに、 品陀別命(八幡神)を配祀し、菅原道真(天満宮)を合祀している。
例祭は8月31日。10月10日に秋季例祭がある。
社殿に向かって左手に、大カヤが立つ。樹高23メートル、目通り幹囲5.7メートル、推定樹齢300年以上。県内第5位とされるカヤ。
境内社に、厄除神社・稲荷神社がある。
毎年2月17日・18日に厄除大祭が執行される。厄除け神事のほか、うどんやおでんなどの販売、屋台の出店もある。参拝者に神饌せんべいが授与され、福引きもある。
【ご利益】
安産、厄災除け
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[電話]0795-74-0646
阿陀岡神社(あだかじんじゃ)は、兵庫県丹波市春日町字多利にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「阿陀岡神社(丹波国・氷上郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
小富士山と呼ばれる姿の良い、標高231メートルほどの小山がある。その南、東から竹田川に注ぐ支流の右岸に鎮座する。
創建年代は不詳。主祭神は吾田鹿葦津比売命(あたかあしつひめのみこと)。木花開耶姫命と同一神とされる。
もとは現在地の東方約1.7キロの日ケ奥(日ヵ奧)に鎮座していたという。古跡は「あだか山」と呼ばれる。
ある時の洪水で現在地まで流れてきた。本殿背後の社叢の巨石群に御祭神の御魂が留まったという。
飛鳥時代の第29代欽明天皇3年(543年)、春日部乙身が勅命によって幣物を捧げたところ、間もなく慶雲が起こったので、現在地に祀ったという。
戦国時代の明応元年(1492年)8月に再建されたとの記録が残る。江戸時代に入り、「阿陀岡大明神」と称された。
江戸時代中期の元文4年(1739年)7月、八朔祭の松明の火で炎上、寛保2年(1742年)9月に再建し、現在に至る。
公卿や武家の崇敬が厚く、明治維新の元勲、岩倉具視は自筆の神号を奉納した。
明治6年(1873年)、村社に列し、大正元年(1912年)、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和3年(1928年)11月、県社に昇格した。
現在までに、 品陀別命(八幡神)を配祀し、菅原道真(天満宮)を合祀している。
例祭は8月31日。10月10日に秋季例祭がある。
社殿に向かって左手に、大カヤが立つ。樹高23メートル、目通り幹囲5.7メートル、推定樹齢300年以上。県内第5位とされるカヤ。
境内社に、厄除神社・稲荷神社がある。
毎年2月17日・18日に厄除大祭が執行される。厄除け神事のほか、うどんやおでんなどの販売、屋台の出店もある。参拝者に神饌せんべいが授与され、福引きもある。
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