江戸前期創建、千住の寺子屋に関する資料の碑、明治期の大型の山車
[住所]東京都足立区千住4-31-2
[電話]03-3881-6033

千住四丁目(ひかわじんじゃ)は、東京都足立区千住4丁目にある神社。近代社格では村社。正式には氷川神社のみ。御朱印の有無は不明。

江戸時代前期の元禄4年(1691年)4月の長円寺境内に創建されたという。御祭神は建速須佐之男命。氷川社と呼ばれ、町の鎮守だった。

『新編武蔵風土記稿』によれば、御神体は魚籃の観音だった。これは昔、旅の行者が持ってきたもので、境内古松の下に置て去り、その後取りに来なかったことによるという。

明治に入り、長円寺と氏子が社地を定める申し入れを行い、明治5年(1872年)11月28日、千住宿北組(4丁目)の村社に列した。現在の社殿は明治42年(1909年)の造営。

大正元年(1912年)8月、無格社稲荷神社(宇迦御魂命)を合祀。また、千住町大字4丁目元宿1147番地の無格社八幡神社(品陀別尊)を合祀した。この無各社八幡神社は後に復社し、現在は元宿神社となっている。

例祭は9月第二土・日曜日。神輿渡御などがある。

境内社に、稲荷神社(宇迦御魂命)、北野神社(高正天満宮などとも。菅原道真)がある。また、猿田彦大神を祀るという。

高正天満宮は、千住4丁目の名主で、開拓の指揮を取った高梨家と断絶後の門地を継承した正木家が祀ったものだという。

境内には正木櫟蔭事績碑がある。宝暦元年(1751年)に千住宿で開塾した寺子屋「群雀堂」の二代目塾主、正木大助の生涯についての碑。

塾主3代目を継いだ息子正木建の撰文によるもので、嘉永5年(1852年)に建立された。寺子屋教育の様子を物語る貴重な資料で、区の有形文化財に登録されている。

明治5年(1872年)落成の山車が現存する。高さ7.53メートル、幅3.6メートル、3層からなる。

1層目は唐破風の屋根がついた祭囃子舞台、2層目は松と鶴を配し幕をめぐらした廻廊式舞台、3層目は静御前が扇をかざした人形が置かれている。

区の有形民族文化財に指定され、現在は亀田鵬斎の筆になる幟とともに足立区郷土博物館に展示されている。

千住3丁目には当社とは別の氷川神社があり、通常、千住本氷川神社と呼ばれる。

【ご利益】
厄災除け、身体壮健、学業・受験合格
千住四丁目氷川神社 東京都足立区千住4丁目
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