鎌倉期創建の尉殿大権現、宿場町で栄え、明治に熊野・八幡を合祀
[住所]東京都西東京市田無町3−7−4
[電話]042-461-4442

田無神社(たなしじんじゃ)は、東京都西東京市田無町にある神社。近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

創建は、鎌倉時代後期の正応年間(1288年-1293年)と伝わる。田無北部の谷戸の宮山に鎮座し、尉殿大権現と呼ばれ、龍神を御祭神としていたという。

江戸時代初期、徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、城や町の建造のために大量の石灰を必要とした。

家康は、石灰を青梅の地に求め、青梅街道を開いたが、その際、肥沃な谷戸の住人が南の青梅街道沿いに移住し、宿場町としての田無を造営した。

この動きの中で、元和8年(1622年)、宮山に鎮座する尉殿大権現(級長戸辺命)が上保谷に分祀された。これが現在の尉殿神社である。

さらに正保3年(1646年)、宮山から現在地に分祀され、寛文10年(1670年)、宮山に残っていた尉殿大権現(級長津彦命)の本宮が当地に遷された。これが当社の原型である。

明治5年(1872年)、熊野神社、八幡神社を合祀して現社号に改称。御祭神は下記の通りとなった。

大国主命、尉殿大権現、須佐之男命猿田彦命八街比古命、八街比売命、日本武尊命、大鳥大神、応神天皇

昭和10年(1935年)建築の参集殿が国の登録有形文化財に指定されている。二之鳥居の西に、参道を介して社務所と向かい合って建つ。

江戸時代後期の安政5年(1858年)建築の本殿、明治8年(1875年)建築の拝殿、元禄7年甲戌夏4月と宝暦3年癸酉8月の年記がある棟札2枚、本殿の彫刻が都の指定有形文化財。

本殿の彫刻は、左甚五郎を祖とする、嶋村俊元に始まる嶋村家の8代目嶋村俊表によるもので、その代表作とされる。

平成23年(2011年)の東日本大震災により、参道の二之鳥居と西側の鳥居が倒壊、本殿の基壇のずれ、拝殿と覆殿の屋根の一部損壊、拝殿と幣殿の彫刻の破損などの被害を受けた。2年後には復興した。

例祭は10月第2日曜日とその前日。神輿が出て、境内で露天、催しが行われる。

11月には酉の市があり、くまで市が行われる。露店や催しも。東京都文化財ウィーク開催期間でもあり、夕刻に本殿を特別拝観できる。

12月の除夜祭では、保谷和太鼓のカウントダウンで新年を迎え、一番祈祷、田無囃子の演奏がある。

現在、尉殿神社などを兼務している。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、地域振興、縁結び、厄災除け(公式HP
田無神社 東京都西東京市田無町
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田無神社 東京都西東京市田無町の御朱印