平安期創建の古社、京橋地区の産土神、1月に寒中水浴大会
[住所]東京都中央区湊1-6-7
[電話]03-3551-2647

鐵砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ、鉄砲洲稲荷神社)は、東京都中央区湊にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の承和8年(841年)4月15日、凶作に悩む荏原郡桜田郷の住民が産土神を生成太神(いなりのおおかみ)として祀ったことに始まる。

現在までに、御祭神は和産霊神豊受姫大神宇迦之御魂大神

入江埋立に伴い京橋に遷座し、さらに室町時代末期の大永年間(1521年-1528年)に後の新京橋(現 銀座1丁目付近)へ遷座し、八丁堀稲荷神社と称した。

江戸時代初期の寛永元年(1624年)、桜川が亀島川に合流する地点、稲荷橋南東詰(現 湊1丁目8番地付近)に遷座し、もとあった八幡神社を摂社とした。

一方、18世紀中期の『事跡合考』によれば、昔八丁堀一丁目南岸にあったが、家屋が過密になり、八丁目に移転したという。

江戸の水路網の入り口に位置することから、全国からの船乗りの崇敬を集めた。

江戸時代中期の寛政2年(1790年)には富士塚が築造された。現在、区内唯一の現存富士塚で、富士山の熔岩を用い、頂上には末社鉄砲洲富士浅間神社が鎮座する。7月1日のみ登拝が可能。

江戸時代後期には吉田家により湊神社と名付けられ、また「浪ヨケイナリ」とも称された。少し意味合いは異なるが、築地には波除稲荷神社がある。

安政期に歌川広重が描いた『名所江戸百景』「鉄炮洲稲荷橋湊神社」には朱塗りの壁と社殿が見える。

明治元年(1868年)、土地が収用され、120メートルほど南の現在地に遷座した。現在は京橋地域の産土神として崇敬されている。

大正12年(1923年)の関東大震災では大きな被害を蒙ったが、昭和10年(1935年)以降本殿や神楽殿が再興され、現在の形が整った。

昭和20年(1945年)の東京大空襲では被害を免れ、昭和初期の神社の形式を今に伝える。

例祭は5月2日-5日で例大祭。3年ごとに本祭があり、神輿渡御を行う。冬至には開運祈願祭があり、「金銀富貴」の神礼が配られる。

1月第2日曜日には寒中水浴大会がある。先代宮司の中川正光が昭和30年(1955年)に始めたもの。2月3日が節分祭追儺式。

氏子を構成するのは京橋五之部の湊1-3丁目・明石町・入船1-3丁目・新富の8町会、四之部の銀座1-5丁目東・6-7丁目東西・8丁目東の8町会、新川2丁目越一町会。

氏子組織には崇敬会・敬神婦人会・弥生会がある。弥生会は戦後途絶えていた神輿渡御復活を目的として平成10年(1998年)に設立された。

なお、兼務神社に、歌舞伎座に鎮座する歌舞伎稲荷神社などがある。

【ご利益】
商売繁盛、事業成功、五穀豊穣、水難除け、海上安全(公式HP
鐵砲洲稲荷神社 東京都中央区湊
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鐵砲洲稲荷神社 東京都中央区湊の御朱印