豊島氏が鎌倉期に大宮を勧請、板橋宿の鎮守、区内唯一の江戸期富士塚
[住所]東京都板橋区氷川町21-8
[電話]03-3961-6568
氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都板橋区氷川町にある神社。近代社格では郷社。下板橋氷川神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
鎌倉時代の元久3年(1206年)ごろ、当地領主だった豊島左衛門尉経泰が、現在の埼玉県さいたま市の氷川神社より、素盞男命・稲田姫命の御分霊を奉じたのが始まり。
石神井川畔の景勝の地ということで選ばれた。豊島氏が没落した後も、地元民が板橋宿の鎮守として信仰してきた。別当寺は真言宗豊山派勧明寺。
明治5年(1872年)に村社に列し、翌明治6年(1873年)、郷社に昇格した。
明治22年(1889年)の火災で焼失し、詳しい由緒に関わる文書などが失われた。社殿は火災の翌年に再建されたが、昭和20年(1945年)5月の空襲で再び全焼した。
現在の社殿は、御造営奉賛会により再建されたもので、昭和33年(1958年)9月に竣工した。鉄筋コンクリート、流造。
例祭は9月10日。2月3日に節分祭がある。現在は19の町を氏子区域とする。
オビシャと呼ばれる弓矢を用いた吉凶・農作物収穫を占う神事があった。昭和13年(1938年)ごろを境に途絶えたとされる。
明治25年(1892年)作の山岡鉄舟筆の社号墨書掛幅が現存する。
境内社に、淡島神社(少彦名命)・三峯神社(伊邪那美神)・諏訪神社(建御名方命)・北野神社(菅原道真)・稲荷神社(倉稲魂命)・八幡神社(応神天皇)・天祖神社(天照大神)・浅間神社(木花咲夜姫命)・古峰神社(日本武尊)・厳島神社(厳島姫命)・小御岳神社(磐長姫命)がある。
このうち、浅間神社は、区内では唯一江戸期(1855年)に造立され、現在は区の登録文化財となっている富士塚の山頂に鎮座する。
永田長四郎が結成した永田講による登山神事などが100年あまり行なわれたが、昭和41年(1966年)に閉講、道具は板橋区立郷土資料館に寄贈された。
【ご利益】
厄災除け、夫婦和合、家内安全、安産(公式HP)
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[電話]03-3961-6568
氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都板橋区氷川町にある神社。近代社格では郷社。下板橋氷川神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
鎌倉時代の元久3年(1206年)ごろ、当地領主だった豊島左衛門尉経泰が、現在の埼玉県さいたま市の氷川神社より、素盞男命・稲田姫命の御分霊を奉じたのが始まり。
石神井川畔の景勝の地ということで選ばれた。豊島氏が没落した後も、地元民が板橋宿の鎮守として信仰してきた。別当寺は真言宗豊山派勧明寺。
明治5年(1872年)に村社に列し、翌明治6年(1873年)、郷社に昇格した。
明治22年(1889年)の火災で焼失し、詳しい由緒に関わる文書などが失われた。社殿は火災の翌年に再建されたが、昭和20年(1945年)5月の空襲で再び全焼した。
現在の社殿は、御造営奉賛会により再建されたもので、昭和33年(1958年)9月に竣工した。鉄筋コンクリート、流造。
例祭は9月10日。2月3日に節分祭がある。現在は19の町を氏子区域とする。
オビシャと呼ばれる弓矢を用いた吉凶・農作物収穫を占う神事があった。昭和13年(1938年)ごろを境に途絶えたとされる。
明治25年(1892年)作の山岡鉄舟筆の社号墨書掛幅が現存する。
境内社に、淡島神社(少彦名命)・三峯神社(伊邪那美神)・諏訪神社(建御名方命)・北野神社(菅原道真)・稲荷神社(倉稲魂命)・八幡神社(応神天皇)・天祖神社(天照大神)・浅間神社(木花咲夜姫命)・古峰神社(日本武尊)・厳島神社(厳島姫命)・小御岳神社(磐長姫命)がある。
このうち、浅間神社は、区内では唯一江戸期(1855年)に造立され、現在は区の登録文化財となっている富士塚の山頂に鎮座する。
永田長四郎が結成した永田講による登山神事などが100年あまり行なわれたが、昭和41年(1966年)に閉講、道具は板橋区立郷土資料館に寄贈された。
【ご利益】
厄災除け、夫婦和合、家内安全、安産(公式HP)
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