平安期勧請、「新選組解散の地」、8月八王子祭りで名物「千貫神輿」
[住所]東京都八王子市元本郷町4-9-21
[電話]042-622-8605

多賀神社(たがじんじゃ)は、東京都八王子市元本郷町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の天慶元年(938年)、武蔵介に任ぜられた源経基が、国土豊穣、万世安穏を祈願するため、滋賀県多賀大社から分祀し、この地に勧請したと伝わる。

御祭神は伊弉諾尊伊弉冊尊。八王子では、東の鎮守である八王子市元横山町鎮座の八幡八雲神社とともに、西の鎮守として尊崇されている。

鎌倉時代の文応元年(1260年)、北条時頼が国内巡行の際、この地で病に倒れ、本社に古鏡一面を奉納して祈願したところ、治癒したことから、社領7反歩を寄進し、祈願所としたという。

江戸時代中期の享保16年(1731年)に社殿が焼失し、享保20年(1735)に再建された。

幕末の慶応2年(1866)春、八王子千人同心組頭の神宮寺金一郎・川村豊左衛門・塩野幸七郎は大坂滞在中、白川神紙伯資訓王の揮毫による「多賀宮」の扁額を作成・奉納した。

この扁額は八王子千人同心関係の貴重な資料として、現在は市の有形民俗文化財に指定されている。

慶応4年(1868年)、甲州勝沼の戦いで敗走した新撰組(新選組。当時は甲陽鎮撫隊)隊士が、当社に集結した後に解散したことから、「新選組解散の地」とも呼ばれる。

明治維新を迎えた後、幕末まで別当寺を務めた密蔵院は、明治5年(1872年)に大楽寺町の西蓮寺に併合され、廃寺となった。

明治26年(1893年)、郷社に昇格した。全国の75社とされる多賀神社の中で郷社指定は4社のみとされ、当社はそのうちの一社。

昭和8年(1933年)には神楽殿が造営された。昭和20年(1945年)8月2日の八王子空襲では奇跡的に大部分の境内施設が焼失を免れた。

戦後は昭和26年(1951年)、昭和54年(1979年)、平成21年(2009年)、平成25年(2013年)と、たびたび社殿の修築や境内整備が行われている。

例祭は8月15日・16日。現在は8月第1金・土・日曜日で、八王子祭りに参加する。明治15年(1882年)に建造された通称「千貫神輿」の渡御が大迫力で見もの。

境内には樹齢400年余の大銀杏(大イチョウ)の御神木がある。境内社に、機守神社などがある。

【ご利益】
良縁、子孫繁栄、家内安全、夫婦和合、健康長寿(公式HP
多賀神社 東京都八王子市元本郷町
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多賀神社 東京都八王子市元本郷町の御朱印