平安期に源頼信が奉斎、綱吉の守り刀や伝統の「甘酒祭り」、絵馬殿
[住所]東京都品川区旗の台3-6-12
[電話]03-3781-5800

旗岡八幡神社(はたがおかはちまんじんじゃ)は、東京都品川区旗の台にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の長元元年(1028年)、上総・下総で起った平忠常の乱を治めるべく、長元3年(1030年)、当地を訪れた源頼信が八幡大神を奉斎し、戦勝を祈願したのが始まり。

御祭神は、誉田別命(応神天皇)・比売大神・息長帯比売命(神功皇后)。

高台に陣を敷き、源氏の白幡を靡かせ、大いに武威を誇ったことから、当地は「旗岡」あるいは「旗の台」と呼ばれるようになった。付近には「源氏前」という名称も残る。

社前の道は鎌倉道の一つで、古来より鎌倉へと通じる道として知られていた。

鎌倉時代中期、源氏の庶流荏原左衛門尉義宗(1231年-1285年)が当地の領主となると、当社を崇敬して社殿を造営、当地鎮守とした。

義宗の二子徳次郎は、日蓮宗に帰依し、朗慶上人と称され、その館に法蓮寺を開山、当社の別当として長く務めた。明治維新後、独立したが、法蓮寺は現存し、隣接する。

江戸時代になり、2代将軍徳川秀忠の祈願所とされたほか、毎年2月15日に各地から集まった武士達により執り行われた弓の競射は特に有名だった。

試合の後、一同甘酒に舌鼓を打ったその故事に倣い、「甘酒祭り」の伝統は今日まで続いている。近世には中延八幡宮とも呼ばれた。

また、5代将軍徳川綱吉の守り刀が現存し、文化11年(1814年)には社殿の大改築が大奥の女中達の寄進によりなされた。

その格天井に描かれた140枚余の絵は、幕府の絵師狩野探玄が娘の病気平癒を祈願したところ全快したため、報恩で奉納されたもの。

しかし、昭和20年(1945年)5月の空襲で社殿とともに灰燼に帰した。現在の社殿は昭和39年(1964年)の再建になる。

例祭は9月第2土曜・日曜日。両日とも、神楽殿では里神楽が奉奏され、百軒近い露店が境内に立ち並ぶ。日曜日の午前は、神社神輿が氏子区域を渡御する。

昭和初期の建立で、戦災を免れた絵馬殿が国の登録有形文化財。元治元年(1864年)に中延村の野村吉治郎翁が奉納した高さ1.33メートル、巾1.78メートルの「猿駒止の絵馬」が区の有形文化財。

【ご利益】
厄災除け、安産、病気平癒など(公式HP
旗岡八幡神社 東京都品川区旗の台
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