横浜・川崎間の最古の神社、鎌倉将軍も参詣、7月に天王祭で大神輿
[住所]神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央1-14-1
[電話]045-501-4122

鶴見神社(すぎやまじんじゃ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 都筑郡「杉山神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。鶴見七福神の寿老神。

神紋は有職鶴(ゆうそくづる)。横浜・川崎間の最古の神社とされる。

創建は、第33代推古天皇(在位:593年-628年)の時代と伝えられる。古くは杉山大明神・杉山神社と称された。

昭和37年(1962年)、境内の古木(後述の欅)が倒れた際にその根元から弥生時代後期の土器や古墳時代の土師器、鎌倉時代に至る祭祀遺跡が発見された。

これにより、創建伝承以前から祭祀の場だったことが確認された。その後も境内を中心に続々と遺跡が発見された。貝塚は「鶴見神社境内貝塚」として、市の史跡。

鎌倉時代の仁治2年(1241年)、鎌倉将軍藤原頼経が参詣、その際に欅(先述の古木)と富士塚が奉納されたという。

江戸時代、当社御神木の中でも大きな檜が人々の信仰を集めていたが、江戸の芝居小屋の棟木にするために伐採、病人が出るなど奇怪なことが続いたという。

そこで、この檜を伐採した跡に、これに代わる木を植えたところ、鎮まったという。似た話は、保土ケ谷区星川の杉山神社にも伝わっている。

『新編武蔵風土記稿』鶴見村の条にも「杉山明神牛頭天王相殿」と記載されている。久良岐郡以外では数少ない杉山社の明神記載で、杉山神社72社の一つ。別当は最勝寺だった。

社殿は、江戸時代中期の宝暦3年(1753年)に再建され、江戸時代後期の嘉永6年(1853年)には名主・佐久間権蔵が社殿を改築したという。

明治44年(1911年)3月31日、火災のため社殿が全焼し、大正4年(1915年)11月に再建された。

大正9年(1920年)に、杉山明神牛頭天王相殿から現社号に改めた。当社は、杉山大明神(五十猛命)と天王宮(素盞嗚尊)の二社相殿。

江戸時代の国学者・黒川春村が『杉山神社神寿歌釋』で考証し、鎌倉時代より伝えられた神事芸能「田遊び」は、明治4年(1871年)に絶えたが、昭和62年(1987年)に再興された。

また、相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、現在は7月第4金曜日の天王祭で、古式ゆかしく渡御する。

この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現 潮見橋付近)に流れ着いたものと伝えられる。

当時、少し上流にあった鎮守天王社(現在は川崎市幸区小倉の小倉神社)の祭礼の時、鶴見川で神輿を洗った際に、誤って流してしまったものとされる。

境内社に、中町稲荷・上町稲荷・三家稲荷の3社の稲荷社があり、2月の午の日には初午祭が催行される。境内の奥、本殿裏に先述の富士塚があり、その頂上に富士浅間社がある。

他に、大鳥社があり、11月の酉の日には大鳥祭が催行され、熊手市が立つ。また、関神社・秋葉社がある。

寛永2年(1705年)に旧東海道の鶴見橋に立てられた寺尾稲荷への道標もある。

なお、式内社「杉山神社」の論社は他に、横浜市内に緑区西八朔町港北区新吉田町都筑区中川都筑区茅ヶ崎町・保土ケ谷区星川・港北区新羽町2576都筑区勝田町西区中央の各杉山神社がある。

ただ、当社の鎮座する鶴見区は、都筑郡ではなく橘樹郡に属していたという指摘がある。

【ご利益】
厄災除け、木の神、病魔退散
鶴見神社 神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央
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鶴見神社 神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央の御朱印