戦国時代に北条氏康が創建・合祀と伝えられる、疑問残る式内論社
杉山神社 神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町南原896
[住所]神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町南原896
[電話]045-431-1038 - 一之宮社

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町南原にある神社。神奈川県や近隣の東京都内に数多い杉山社の一つで、川島杉山神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 都筑郡「杉山神社」に比定される式内社(小社)の論社、ともされるが後述のように可能性は低いか。近代社格では村社。

陣ヶ下渓谷を流れる市沢川(帷子川支流)沿いの高台に鎮座している。

戦国時代の天文年間(1532年-1555年)、北条氏康がこの地に陣を張った際、祠を建てて武運長久を祈ったのが始まりとされる。

しかしこれでは式内社にならない。より詳しくは、氏康が日本武尊の東征の夢を見て、その加護により勝利は必定と祈願した。

そのため、この際に日本武尊が奉斎され、五十猛命を祀る社はもとから存在していた、とも考えられる。

ただし、氏康はその戦いでの勝利後の報恩で、ただちに社殿を新築し、除地一反歩を与えたという。

また、氏康は領民をいたわる気持ちが強く、 戦乱久しく住民の困窮を救うために植林を奨励し、植林の祖神である五十猛命を合祀した、という。

やはり創祀そもそもが戦国時代なのだろうか。なぜ式内論社になっているのかは不明。また、有力視はされていないようだ。

『新編武蔵風土記稿』川島村の条にも「杉山社」とあり、杉山神社72社の一つ。「村内の鎮守」で、別当は圓福寺だった。

江戸時代後期の弘化元年(1844年)2月には社殿が焼失、その後村民によって再建された。明治6年(1873年)、旧西谷村の村社に列した。現在の社殿は昭和30年(1955年)5月に造営されたもの。

例祭は9月19日に近い日曜日で、湯花の神事がある。1月2日には獅子舞いが、1月14日にはどんど焼きがあるとも。

境内社に杉山稲荷神社がある。また、当社の南西方約100メートルには妻恋稲荷が鎮座している。

当社には神職が常駐しておらず、現在は神奈川区入江にある一之宮社の兼務社である。

なお、式内社「杉山神社」の論社は他に、横浜市内に緑区西八朔町港北区新吉田町都筑区中川都筑区茅ヶ崎町保土ケ谷区星川港北区新羽町2576都筑区勝田町西区中央の各杉山神社、鶴見区鶴見の鶴見神社がある。

【ご利益】
武運長久・勝運、木の神、交通・旅行安全
杉山神社 神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町南原
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