野牧、奈良・平安時代から秩父より牧の駒を奉った地、久長村に遥拝所
[住所]埼玉県秩父郡皆野町野巻363
[電話]-
椋神社(むくじんじゃ)は、埼玉県秩父郡皆野町野巻にある神社。近隣に四社、その中には皆野町にも一社の同名神社があるため、特に野巻椋神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 秩父郡「椋神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創建年代は不詳。御祭神は猿田彦大神。口碑によると、野巻はつまり野牧、奈良・平安時代から秩父より牧の駒を奉った地であるという。
地名に、刈干場(かりほしば)、沓打場(くつうちば)、鍛冶屋(かじや)、牧原(まきはら)などが現在も残るという。
椋宮明神とも。当社の小字も、椋宮(くらのみや)という。牧場の守護神で、「鞍の宮」、あるいは「倉宮」とも。
区域外にも当社への強い信仰があり、隣村の秩父市吉田久長(旧 久長村)には遥拝所があったという。
古くは、そこに繁っている松の木に鈴を懸け、川の氾濫などで当社へ参詣できない時は、その森の松の木に鈴をかけ、これを振って祈った。
そのため、遥拝所近辺は鈴ヶ森と呼ばれているという。
また、氏子の間で、子どもが虚弱な場合、宮司に頼んで、戸籍上とは違う名前を付けてもらい神の子としてもらう習慣があるという。
明治4年(1871年)に村社に列し、明治40年(1907年)には近隣の神社を合祀した。現在、合祀神として、菅原道真・金山彦命・建御名方命・大日孁貴尊を祀る。
例祭は10月15日。境内社に、金山社・稲荷社・山神社・諏訪社などがある。
なお、式内社「椋神社」の論社は他に、秩父市下吉田・秩父郡皆野町皆野・秩父市上蒔田・秩父市中蒔田に同名の神社がある。
珍しいケースだが、当社を含むこれらの論社はすべて、明治政府により式内社を名乗ってよいとの許可を得た。
【ご利益】
交通安全、道しるべ、地域安全
【関連記事】
・埼玉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、埼玉県に鎮座している神社の一覧
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『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 秩父郡「椋神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創建年代は不詳。御祭神は猿田彦大神。口碑によると、野巻はつまり野牧、奈良・平安時代から秩父より牧の駒を奉った地であるという。
地名に、刈干場(かりほしば)、沓打場(くつうちば)、鍛冶屋(かじや)、牧原(まきはら)などが現在も残るという。
椋宮明神とも。当社の小字も、椋宮(くらのみや)という。牧場の守護神で、「鞍の宮」、あるいは「倉宮」とも。
区域外にも当社への強い信仰があり、隣村の秩父市吉田久長(旧 久長村)には遥拝所があったという。
古くは、そこに繁っている松の木に鈴を懸け、川の氾濫などで当社へ参詣できない時は、その森の松の木に鈴をかけ、これを振って祈った。
そのため、遥拝所近辺は鈴ヶ森と呼ばれているという。
また、氏子の間で、子どもが虚弱な場合、宮司に頼んで、戸籍上とは違う名前を付けてもらい神の子としてもらう習慣があるという。
明治4年(1871年)に村社に列し、明治40年(1907年)には近隣の神社を合祀した。現在、合祀神として、菅原道真・金山彦命・建御名方命・大日孁貴尊を祀る。
例祭は10月15日。境内社に、金山社・稲荷社・山神社・諏訪社などがある。
なお、式内社「椋神社」の論社は他に、秩父市下吉田・秩父郡皆野町皆野・秩父市上蒔田・秩父市中蒔田に同名の神社がある。
珍しいケースだが、当社を含むこれらの論社はすべて、明治政府により式内社を名乗ってよいとの許可を得た。
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