「埼玉」の語源、埼玉古墳群内の浅間塚に鎮座、出雲の神々を奉斎
[住所]埼玉県行田市埼玉5450
[電話]048-559-0464

前玉神社(さきたまじんじゃ)は、埼玉県行田市埼玉にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 埼玉郡「前玉神社二座(武蔵国・埼玉郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

社名の「前玉」は、「埼玉」の地名の語源と伝える。埼玉県北部の埼玉古墳群内に鎮座し、当社自体も浅間塚古墳の上に鎮座する。

創建は不詳。本殿も古墳群の方向に建てられている。これら古墳群の首長層が当社の古代祭祀集団と推定され、古墳時代に古墳群を守護する形で祀られたのが創祀。

御祭神は、前玉彦命(さきたまひこのみこと)・前玉比売命(さきたまひめのみこと)。現在は男女神を祀るとして、恋愛成就などにご利益があるとされる。

前玉比売命に関して、『古事記』に天之甕主神の娘神として記載がある。速甕之多気佐波夜遅奴美神と結婚し、雍主日子神をもうける。

速甕之多気佐波夜遅奴美神と雍主日子神は、いずれも大国主神の裔で、出雲の豪族と考えられる。前玉彦命に関する記述はないが、この父子2柱の男神のいずれかだろう。

どちらにしろ、『古事記』では系譜上の神名のみの記載。埼玉古墳群や当地と出雲の関係をうかがわせる。

埼玉県といえば大宮氷川神社、関東最古の神社といわれる久喜市鷲宮の鷲宮神社、これらも出雲。

『延喜式』神名帳武蔵国には、入間郡の出雲伊波比神社、男衾郡の出雲乃伊波比神社の記載があり(それぞれ論社複数)、横見郡には伊波比神社がある。

他にも探せばきりがないが、武蔵国と出雲の関係は極めて深いものがある。当社はその特徴を明確に今に伝える。

奈良時代、『正倉院文書』神亀3年(726年)の戸籍帳である「山背国愛宕郡雲下里計帳」に「武蔵国前玉郡」の表記が見える。

この「前玉」が後に「埼玉(さきたま/さいたま)」へと変化したと考えられている。『延喜式神名帳』記載の訓みは「サキタマ」「サイタマ」がある。

中世の動向は不明。社伝によると忍城中にあった浅間社を勧請してからは「浅間社」と号し、鎮座する古墳は富士山に見立てられていたという。

初め古墳上の神社は「上ノ宮」、中腹にある神社は「下ノ宮」とされていたが、明治に入り上ノ宮は当社に、下ノ宮は境内社としての浅間神社(木花開耶媛命)に定められた。

例祭は4月15日と10月15日。3月下旬には御神田選定儀、御神田事始儀があり、6月初旬には田植えの儀がある。12月31日が幸魂儀。

本殿・拝殿は浅間塚古墳の墳頂にあり、墳頂に登る階段口の両脇には、高さ2メートルの石灯籠2基が建てられ、「万葉灯籠」と称される。市指定文化財。

江戸時代前期の元禄10年(1697年)10月15日に当社氏子が祈願成就を記念して奉納したもの。それぞれ『万葉集』に載る当地に関する歌が記載されている。
埼玉の 津に居る船の 風をいたみ 綱は絶ゆとも 言(こと)な絶えそね

埼玉の 小埼の沼に 鴨そ翼霧る 己が尾に 降りおける霜を 払ふとにあらし
また、境内入り口の石鳥居は、やはり江戸前期の延宝4年(1676年)11月の造営で、市指定文化財。

石鳥居付近に立つ槙は樹齢推定600年、樹高16メートルで、現存の槙では県下最大、市の天然記念物に指定されている。

浅間神社の他、境内社として、明治時代に埼玉地区の神社を合祀して、計16柱を祀る明治神社、天神社、恵比寿神社がある。

【ご利益】
良縁・縁結び、地域安全、地域振興、家内安全(公式HP
前玉神社 埼玉県行田市埼玉
【関連記事】
埼玉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、埼玉県に鎮座している神社の一覧
前玉神社 埼玉県行田市埼玉の御朱印