泉が湧き出る穴澤、平将門の子や裔にゆかり、羽黒山大権現・穴澤大神
[住所]東京都西多摩郡奥多摩町氷川1365
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羽黒三田神社(はぐろみたじんじゃ)は、東京都西多摩郡奥多摩町氷川にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 多磨郡「穴澤天神社/穴沢天神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

南山麓に清泉が湧き出る洞穴あり、これを穴澤と称したという。また、葦沢という集落名から起因したとする説もある。

平安時代の貞観3年(859年)、出雲国の人である土師連行基が東国に下向、御嶽山に籠り神託を得、当地に来て、高皇産霊神少彦名神の2柱を奉斎したことに始まる。

天慶年間(938年-947年)、平将門の子の平良門が戦勝を祈願して、八角鏡を奉納、これが御神体となった。

左殿に天穂日命を祀り、これを調布郡祖の社と称した。川邊神社(川辺神社)とも。「調布郡」は不明。調布は村であって郡ではない。当地一帯のことか。

室町時代の永享6年(1436年)、村内元巣ノ森の羽黒大神(稲倉魂命)を右殿に合祭し、羽黒山大権現と称した。

戦国時代の永正3年(1506年)6月、当地領主で平将門十六世孫という三田弾正忠平次秀が宿願成就により、社殿を再建し、神地を寄進した。

この際、扁額に領内惣鎮守である旨を附記して奉納しており、これが現存するという。

江戸時代になり、その前期の寛文8年(1665年)4月 代官曾根五郎左衛門が検地により、当社地を公租を除く、免税地としたという。

江戸時代中期の宝永2年(1706年)2月、社殿を再建し、また安永9年(1780年)、さらにこれを再建したという。

明治3年(1870年)、羽黒山大権現・穴澤大神の両社号を併せて、羽黒三田大神と改称、村社に列した。

明治9年(1876年)、現社号に改称、明治22年(1889年)には社殿を再建した。例祭は8月15日。

境内社に、鹿島神社(武甕槌命)、両輪神社(大己貴命月夜見命)、八幡神社(誉田別天皇)、立野神社(級長津彦命・級津姫命)、大祇神社(大山祇命)、琴平神社(大国主命・崇徳天皇)、菅原神社(菅原道真公)、出雲神社(大巳貴命・事代主命)、榛名神社(埴安姫命)がある。

なお、式内社「穴沢天神社(穴澤神社/穴沢神社)」の論社は他に、国立市谷保の谷保天満宮、稲城市矢野口の穴澤天神社、あきる野市深沢の穴沢天神社がある。

【ご利益】
病気平癒、身体壮健、一族・子孫繁栄、五穀豊穣
羽黒三田神社 東京都西多摩郡奥多摩町氷川
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