式内論社、行基が三神の御神像を安置、日蓮が開眼、江戸後期の石鳥居
[住所]東京都大田区蒲田3-2-10
[電話]03-3735-1786
薭田神社(ひえだじんじゃ、稗田神社)は、東京都大田区蒲田にある神社。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 荏原郡「稗田神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、奈良時代の和銅2年(709年)、行基が天照・八幡・春日の三つの御神体を作り、当社に安置したという。
その後、鎌倉時代の弘安5年(1282年)、日蓮が池上宗仲の邸に入った際、村民の要請でこの三神を開眼したと伝わる。
古くは蒲田神社と呼ばれ、戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、領主の行方弾正が崇敬し、繁栄した。しかし、行方氏の没落とともに、神器・宝物・記録などを失なったという。
現在も、当社では春日神の石造の御神像と二体の木造の御神像が安置されている。
御祭神は、誉田別命・天照大神・武内宿禰命・荒木田襲津彦命・春日大神。荒木田襲津彦命は葛城襲津彦と同一視される場合が多いようだが、はっきりしない。
参道入口の石鳥居は、区内最古のもので、江戸時代後期の寛政12年(1800年)に北蒲田村の氏子により寄進されたもの。
高さ3.1メートル、柱間3.14メートル。花崗岩の明神型で、区の文化財に指定されている。
境内社として、三十番神社・薬祖神社・稲荷神社がある。また、笑っているように見える狛犬などがある。
現在、蒲田八幡神社の兼務神社である。御朱印も蒲田八幡神社で頂ける。
なお、式内社「稗田神社」の論社は他に、港区三田の御田八幡神社、大田区東六郷の六郷神社、南久が原の鵜ノ木八幡神社、久が原の八幡神社がある。
【ご利益】
開運招福、厄災除け、学業・受験合格(公式HP)

【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
[電話]03-3735-1786
薭田神社(ひえだじんじゃ、稗田神社)は、東京都大田区蒲田にある神社。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 荏原郡「稗田神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、奈良時代の和銅2年(709年)、行基が天照・八幡・春日の三つの御神体を作り、当社に安置したという。
その後、鎌倉時代の弘安5年(1282年)、日蓮が池上宗仲の邸に入った際、村民の要請でこの三神を開眼したと伝わる。
古くは蒲田神社と呼ばれ、戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、領主の行方弾正が崇敬し、繁栄した。しかし、行方氏の没落とともに、神器・宝物・記録などを失なったという。
現在も、当社では春日神の石造の御神像と二体の木造の御神像が安置されている。
御祭神は、誉田別命・天照大神・武内宿禰命・荒木田襲津彦命・春日大神。荒木田襲津彦命は葛城襲津彦と同一視される場合が多いようだが、はっきりしない。
参道入口の石鳥居は、区内最古のもので、江戸時代後期の寛政12年(1800年)に北蒲田村の氏子により寄進されたもの。
高さ3.1メートル、柱間3.14メートル。花崗岩の明神型で、区の文化財に指定されている。
境内社として、三十番神社・薬祖神社・稲荷神社がある。また、笑っているように見える狛犬などがある。
現在、蒲田八幡神社の兼務神社である。御朱印も蒲田八幡神社で頂ける。
なお、式内社「稗田神社」の論社は他に、港区三田の御田八幡神社、大田区東六郷の六郷神社、南久が原の鵜ノ木八幡神社、久が原の八幡神社がある。
【ご利益】
開運招福、厄災除け、学業・受験合格(公式HP)

【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧

コメント