二つの式内社、以前は父祖を、今は子を祀る、主客逆転が指摘される
布自奈大穴持神社 島根県松江市玉湯町布志名字宮山151
[住所]島根県松江市玉湯町布志名字宮山151
[電話]-

布自奈大穴持神社(ふじなおおあなもちじんじゃ)は、島根県松江市玉湯町布志名宮山にある神社。集落より離れた山の中腹に鎮座し、境内からは宍道湖を一望できる。御朱印の有無は不明。

御祭神は大穴持命。例祭は10月25日。

創祀年代は不詳。『出雲国風土記』にある「布自奈社」に比定される。天平宝字元年(757年)、孝謙天皇の祈願所となったという。

『延喜式神名帳』にある「布自奈大穴持神社(出雲国・意宇郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

境内社に布自奈神社がある。やはり式内社で、御祭神は事代主命

「布自府」とも。つまり、両式内は布自府大穴持神社・布自府神社とも。現在の社殿の扁額でも「布自府」が使われている。

もともと、この境内社である布自奈神社が『出雲国風土記』にある「布自奈社」で、大穴持命の父(祖)である須佐之男命を祀っており、当社の方がその境内社だったともいう。

当社は『出雲国風土記』の「同布自奈社」だったという。いつしか主客逆転し、布自奈神社は大穴持命の子である事代主命へと御祭神が変更された、という説がある。

鎌倉時代初期の寿永3年(1184年)、社殿造営の記録が残る。

建長4年(1252年)3月、鎌倉幕府の御家人で、隠岐次郎と呼ばれた隠岐・出雲両国の守護職である佐々木泰清が参拝したという。

江戸時代になり、「鷹大明神」「高大神」とも呼ばれるようになった。

江戸初期の慶長19年(1614年)9月、前期の寛文5年(1665年)9月、貞享2年(1685年)9月に造営があったという。

【ご利益】
厄災除け、病気平癒、事業成功
布自奈大穴持神社 島根県松江市玉湯町布志名宮山
【関連記事】
島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧