本来は「やむや」、風土記の「夜牟夜社」、式内の塩冶郷の産土諸神
塩冶神社 島根県出雲市上塩冶町1749-1
[住所]島根県出雲市上塩冶町1749-1
[電話]0853-25-3846

塩冶神社(えんやじんじゃ)は、島根県出雲市上塩冶町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「鹽冶神社(出雲国・神門郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。『出雲国風土記』に「夜牟夜社」とある。

「鹽冶」(塩冶)と書いて「えんや」と読むが、本来は「やむや」だという。また、「鹽沼」と誤記されることも。

『日本三代実録』には、「温沼神」が貞観10年(868年)9月21日に従五位下を、貞観13年(871年)11月10日に従五位上を叙されている。

平安時代の長元2年(1029年)3月、時の守護職塩治頼泰が、八幡大神を勧請して合祀した。

ちなみに、塩治頼泰は、塩冶頼泰のことか。であれば、鎌倉時代中後期の武将であり、時代がずれる。

ただし、塩冶頼泰は出雲塩冶氏の祖であり、現在は当社御祭神になっており、『仮名手本忠臣蔵』で一躍有名になった塩冶高貞にとっては曾祖父にあたる。

ともかく、以来、八幡宮として有名となり、塩冶八幡宮、馬場之宮とも。出雲国八社八幡の第一だという。

戦国時代の天文2年(1533年)、天正16年(1588年)に社殿造営の記録が残る。

江戸時代になり、慶長19年(1614年)の堀尾藩による寄進状30石、寛永11年(1634年)の京極藩による寄進状45石が確認できる。しかし、寛永年間(1624年1644年)に火災で焼失。

正徳3年(1713年)、現在地から西に250メートルほどの地から現在地に遷座し、社殿を一新した。また、江戸時代後期の安政3年(1856年)9月18日、社殿を造営した。

式内社に、いわゆる塩冶神社関連社がある。以下の四社。

・塩冶比古神社
・塩冶比古麻由弥能神社
・塩冶日子命御子焼大刀天穂日子命神社
・神産魂命子午日命神社

八幡宮勧請以前までにこれら四社を当社は合祀していたとされる。しかし、塩冶比古神社以外、確実な記録はない。当社では塩冶の諸神などと総称する。

以上を踏まえ、御祭神は、塩冶毘古命・塩冶毘売命・塩冶毘古麻由彌命・焼太刀天穂日子命(塩冶の諸神)で、誉田別命事代主命大山祇命・塩冶判官高貞を合祀する。

塩冶毘古命は、『出雲国風土記』神門郡塩冶郷の由来において、阿利神社などで祀られている阿遅須枳高日子根命の御子として登場し、塩冶郷の地方神とされ、当地一帯の産土神。

例祭は、4月15日で春祭り。また、夏にはホタル観賞の地として最適だとされる。

境内社に、天満宮・杵築社・稲荷社・荒神祠・社日祠などがある。

なお、他の式内社に論社はないが、唯一「神産魂命子午日命神社」のみ、他の論社として、市内大津町の雲根神社がある。

【ご利益】
地域安全、地域振興、家内安全
塩冶神社 島根県出雲市上塩冶町
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