少彦名命が去った後に大国主命が神と対面した地、式内・勝日神社
[住所]島根県安来市広瀬町広瀬85
[電話]0854-32-2654

富田八幡宮(とだはちまんぐう)は、島根県安来市広瀬町広瀬にある神社。近代社格では県社御朱印の有無は不明。

川を挟んで、東に標高183メートルの月山があり、その山頂に勝日高守神社がある。「高守」とは奥宮の意味で、当社はその里宮である勝日神社だったという。

いわゆる富田月山は、この関係からもとは勝日山と呼ばれた。

『古事記』にある、国造りの途中で、少彦名命が常世の国に帰り、大国主命が途方に暮れていると、神が現れ、大国主命と神が対面する、その場所とされている。

『古事記』では、三輪山、つまり現在の奈良県桜井市の大神神社を連想させて、この説話は唐突に終了する。

第29代欽明天皇31年、月山の山頂に大国主命の幸魂神を勝日高守神社として、山麓に大己貴命を勝日神社として祀ったのが創祀。

平安時代末期、保元・平治年間(1156年-1159年)に平家の武将平景清が富田城築城にあたって、勝日神社を現在地に遷座した。

社をどこに移すか、ある夜白羽の矢を夜空に放ったところ向こう岸の松の木に刺さったため、これを神意として現在の八幡山に移したと伝わる。

この白羽の矢は現存するという。しかしその後、八幡信仰が盛大となり、八幡宮が本社となり、勝日神社は境内社となった。

本社の御祭神は、主祭神が応神天皇で、天照大御神神功皇后仁徳天皇を配祀する。

現在は境内社である勝日神社は、『出雲国風土記』に「加豆比乃社」とあり、『延喜式神名帳』にある「勝日神社(出雲国・意宇郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

主祭神は大己貴命で、相殿に須佐之男神稲田姫神を祀る。平安時代の嘉祥4年(851年)正月には正六位上に叙された。

明治5年(1872年)3月、本社の八幡と同様に郷社に列したが、同一境内に二つの郷社はおかしいということで、同年8月、社格が廃された。

本社の八幡は明治40年(1907年)9月、神饌幣帛料供進社に指定され、昭和2年(1927年)9月9日、県社に昇格した。

例祭は10月15日と4月15日。10月15日は神輿渡御祭。

参道は苔むした石畳が両脇の杉、欅の大樹に覆われ、森厳さを保っている。老松古杉が生き茂り、森厳で広大な境内、その長い参道など、見るものを圧倒する。

拝殿・本殿・能面2面は県の文化財に指定されている。山中鹿之助が所持したとされる大身槍もあるという。拝殿天井の鳴き竜は近年とみに有名。

境内には勝日神社の他、祇園神社・武内神社などがある。

なお、式内社「勝日神社」の論社は他に、松江市山代町に鎮座する真名井神社の末社がある。また、山頂の奥宮である勝日高守神社は現存する。

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富田八幡宮 島根県安来市広瀬町広瀬
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