神代の鎮座、神功皇后が凱旋後に建立、大正期に天神を合祀、式内論社
[住所]福岡県福岡市南区若久1-20-14
[電話]-
若久住吉神社(わかひさすみよしじんじゃ)は、福岡県福岡市南区若久にある神社。なお、住所は福岡市南区若久1-20-28ともされる。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 筑前国 那珂郡「住吉神社三座」に比定される式内社(名神大社)の論社。近代社格では村社。
創建は不詳。伊弉諾大神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原で禊祓した時に、志賀海神社のワタツミ三神と、警固神社の直毘の神とともに出現した神を祀る。
したがって、鎮座は遠い神代で、全国的にも、九州でも、最も古いお宮の一つという。神功皇后が三韓征伐で凱旋後、社殿を建立したという。
御祭神は、底筒男神・中筒男神・表筒男神の住吉三神を主祭神とし、相殿に神功皇后・菅原神社(菅原道真)を合祀する。
合祀の菅原道真は大字若久字天神の無格社天神社を大正13年(1924年)に合祀した。
筑前福岡藩初代藩主黒田長政が社殿を再建したとも。現在の社殿は、昭和39年(1964年)、地元の金子市作、大野惣次郎、国武英太氏らの篤志家によって改築されたもの。
社殿の正面左手には、黒田長政の植樹と伝えられる山桃の木がそびえる。
境内には、江戸時代後期の天保6年(1836年)4月の鳥居、左に「神光長明」、右に「松寿千古」とある、大正15年(1926年)10月の建立の注縄掛石がある。
社殿の前に据え置かれた一対の獅子に似た狛犬は、昭和63年(1988年)10月、地元の三浦久・三浦夫妻、三浦郁夫・美春夫妻による寄進。
神殿後方には若久公民館があり、なげしには明治、大正の絵馬が四枚掲げられている。
例祭は10月16日。午前11時から禊祓の神事の後、直会が行われる。
なお、式内社「住吉神社」は、『延喜式』神名帳に記載がある住吉神社の七社、いわゆる住吉七社の一つ。他の論社に、市内博多区住吉の住吉神社がある。
【ご利益】
水難除け、海上安全、安産、学業・受験合格

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若久住吉神社(わかひさすみよしじんじゃ)は、福岡県福岡市南区若久にある神社。なお、住所は福岡市南区若久1-20-28ともされる。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 筑前国 那珂郡「住吉神社三座」に比定される式内社(名神大社)の論社。近代社格では村社。
創建は不詳。伊弉諾大神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原で禊祓した時に、志賀海神社のワタツミ三神と、警固神社の直毘の神とともに出現した神を祀る。
したがって、鎮座は遠い神代で、全国的にも、九州でも、最も古いお宮の一つという。神功皇后が三韓征伐で凱旋後、社殿を建立したという。
御祭神は、底筒男神・中筒男神・表筒男神の住吉三神を主祭神とし、相殿に神功皇后・菅原神社(菅原道真)を合祀する。
合祀の菅原道真は大字若久字天神の無格社天神社を大正13年(1924年)に合祀した。
筑前福岡藩初代藩主黒田長政が社殿を再建したとも。現在の社殿は、昭和39年(1964年)、地元の金子市作、大野惣次郎、国武英太氏らの篤志家によって改築されたもの。
社殿の正面左手には、黒田長政の植樹と伝えられる山桃の木がそびえる。
境内には、江戸時代後期の天保6年(1836年)4月の鳥居、左に「神光長明」、右に「松寿千古」とある、大正15年(1926年)10月の建立の注縄掛石がある。
社殿の前に据え置かれた一対の獅子に似た狛犬は、昭和63年(1988年)10月、地元の三浦久・三浦夫妻、三浦郁夫・美春夫妻による寄進。
神殿後方には若久公民館があり、なげしには明治、大正の絵馬が四枚掲げられている。
例祭は10月16日。午前11時から禊祓の神事の後、直会が行われる。
なお、式内社「住吉神社」は、『延喜式』神名帳に記載がある住吉神社の七社、いわゆる住吉七社の一つ。他の論社に、市内博多区住吉の住吉神社がある。
【ご利益】
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