同床同座に式内「多珂神社」を祀る、江戸後期に激しい比定論争
貴船神社 福島県南相馬市小高区仲町2-50
[住所]福島県南相馬市小高区仲町2-50
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貴船神社(きふねじんじゃ)は、福島県南相馬市小高区仲町にある神社。古くは貴布禰社、貴布禰神社などとも。御朱印の有無は不明。

創建は不詳。御祭神は高龗神闇龗神である。記録によれば、鎌倉時代末期の元亨3年(1323年)以前から信仰されていたという。

『奥相志』によれば、御神体を収めた箱には、鎌倉期を遡る平安時代後期の保延5年(1139年)8月に造営されたという銘文があるという記述がある。

なお、御神体は「龍にまたがり白衣を着た像」であるとされる。

鎌倉時代初期の文治5年(1189年)、相馬師常が行方郡を領地とすると、当社を郡内の総社とし、社殿の修飾を行うなど篤く信仰した。

『奥相志』によれば、南小高邑の当社内に多珂神社があったという。宮方二尺五寸の社殿で、第12代景行天皇の時代に勧請された。

御祭神は伊弉諾尊高皇産霊尊の二座、相殿神として蚕養明神を祀る。『延喜式神名帳』にある「多珂神社(陸奥国・行方郡)」に比定される式内社(名神大社)の論社。

江戸時代後期の文化12年(1815年)、相馬藩主である相馬益胤は、祠官社家と渡部美綱に行方郡内の式内社八座を調査し特定するよう命じた。

渡辺美綱は、「多珂神社」は、高邑の光明寺境に鎮座する鷹大明神、つまり現在の市内原町区高城ノ内の多珂神社であると報告した。

これに対し、当社の祠官である高玉丹波が、「多珂神社」は小高邑に鎮座する小祠であると上稟した。高玉丹波によれば、その内容は以下の通り。
「多珂神社」は三種の神器のうちの八尺瓊勾玉を地主神として勧請したもので、古より小高村の地主神だったという。

祠官家の先祖はもともとは「多珂玉」と名乗ったが、「多珂神社」に憚って「高玉」と名乗るようになった。

多賀信仰の総本社である滋賀県の多賀大社は「お多賀さま」と呼ばれており、小高郷の名前は、鎮座する「多珂神社」を「御多珂」と称したことにちなむという。

高玉氏は、相馬小高神社近くに鎮座する当社と「多珂神社」の祭祀を司っており、当社から十間ほどの小高邑二本松という場所に多珂神社が鎮座していた。

その後、江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)に起きた洪水で、「多珂神社」は流されたが、農夫が水中から祠を拾い上げ、当社境内に合祀された。
これに対して、『奥相志』は、それ以前に行われた式内社比定調査では、小高邑の「多珂神社」は記録されていないこと。

また、高玉氏の記録は寛保元年(1741年)以降に出てくることなど、高玉丹波の説は疑うべきところが多い、としている。

現在、この「多珂神社」について、当社において、同床同座で鎮座している。当社の例祭は1月第2日曜日。

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貴船神社 福島県南相馬市小高区仲町
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