日本武尊が奉斎、箱崎八幡宮を合祀、北向八幡とも、式内名神大社
[住所]宮城県石巻市八幡町1-6-2
[電話]0225-23-2815
拝幣志神社(はへしじんじゃ)は、宮城県石巻市八幡町にある神社。社号は「はいへいし」だが、資料によっては「おがみいし」「はやし」「おろへいし」などとも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「拝幣志神社(陸奥国・牡鹿郡)」に比定される式内社(名神大社)。
第12代景行天皇の御代、日本武尊が東征の際、この神の御神助によって平定した御神徳に奉謝して勧請したと伝える。御祭神は高皇産霊命。
皇室の崇敬篤く、平安時代の貞観元年(859年)正月27日、清和天皇の即位の恩典により郡内の零羊崎神社とともに進階、従四位下に昇叙した。
零羊崎神社は現在、市内の真野山内と湊牧山に二社が存在する。
古くは箱崎山に鎮座した。この山は箱山ともいい、高三尺・横五尺程の石があった。これを箱石・手箱石ともいう。
江戸時代前期の寛永年間(1624年-1644年)に焼亡したといい、寛文年間(1661年-1673年)、山麓に遷祀して箱崎明神と称した。
もとは葛和田蔵人という者が社務を司ったが、その家が途絶した後は、修験明王院が別当となった。
明治40年(1907年)5月、この社をさらに麓の箱崎八幡神社(箱崎八幡宮とも。応神天皇)に合祀して、社号を拝幣志と改称した。
ただし、江戸期から八幡を称していたともいい、現在、当社の通称は箱崎八幡神社。地図にも箱崎八幡神社と記載されている場合がある。地名も当社にちなむか。
北向八幡ともいい、境内社殿は北向き。鳥居扁額には「拝幣志 箱崎八幡 神社」とあり、社殿扁額には「箱崎八幡宮 拝幣志神社」と併記されている。
社殿は天保14年(1844年)の上棟、昭和30年(1955年)の改造にかかる。平成23年(2011年)、東日本大震災で津波被害を受けた。
例祭は5月19日。
【ご利益】
武運長久・勝運、地域安全

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[電話]0225-23-2815
拝幣志神社(はへしじんじゃ)は、宮城県石巻市八幡町にある神社。社号は「はいへいし」だが、資料によっては「おがみいし」「はやし」「おろへいし」などとも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「拝幣志神社(陸奥国・牡鹿郡)」に比定される式内社(名神大社)。
第12代景行天皇の御代、日本武尊が東征の際、この神の御神助によって平定した御神徳に奉謝して勧請したと伝える。御祭神は高皇産霊命。
皇室の崇敬篤く、平安時代の貞観元年(859年)正月27日、清和天皇の即位の恩典により郡内の零羊崎神社とともに進階、従四位下に昇叙した。
零羊崎神社は現在、市内の真野山内と湊牧山に二社が存在する。
古くは箱崎山に鎮座した。この山は箱山ともいい、高三尺・横五尺程の石があった。これを箱石・手箱石ともいう。
江戸時代前期の寛永年間(1624年-1644年)に焼亡したといい、寛文年間(1661年-1673年)、山麓に遷祀して箱崎明神と称した。
もとは葛和田蔵人という者が社務を司ったが、その家が途絶した後は、修験明王院が別当となった。
明治40年(1907年)5月、この社をさらに麓の箱崎八幡神社(箱崎八幡宮とも。応神天皇)に合祀して、社号を拝幣志と改称した。
ただし、江戸期から八幡を称していたともいい、現在、当社の通称は箱崎八幡神社。地図にも箱崎八幡神社と記載されている場合がある。地名も当社にちなむか。
北向八幡ともいい、境内社殿は北向き。鳥居扁額には「拝幣志 箱崎八幡 神社」とあり、社殿扁額には「箱崎八幡宮 拝幣志神社」と併記されている。
社殿は天保14年(1844年)の上棟、昭和30年(1955年)の改造にかかる。平成23年(2011年)、東日本大震災で津波被害を受けた。
例祭は5月19日。
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