干崎、日破宮とも称された熱田大社の境内摂社、熱田七社の一つ
日割御子神社 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
[住所]愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
[電話]052-671-4151 - 熱田神宮

日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)は、愛知県名古屋市熱田区神宮の熱田神宮境内にある神社で、熱田神宮の摂社。御朱印はない。

『延喜式神名帳』にある「日割御子神社(尾張国・愛智郡)」に比定される式内社(名神大社)。

第6代孝安天皇の御代に創建されたと伝わる。御祭神は天忍穗耳尊。本社境内の最東南端に鎮座し、北に当社の御子神を祀る孫若御子神社がある。

御祭神の異説として、『熱田宮旧記』では火徳神、『熱田大神宮記』などでは迦具土神、『神名帳頭註』などでは武殻王、『尾張国式社考』などでは稲依別王としている。

『続日本後紀』承和2年(835年)12月条に日割御子神として名神として記載され、古来より熱田七社の一つとして崇敬されてきた。

『延喜式神名帳』愛智郡には4社の名神大社があるが、いずれも熱田神宮の関係社で、熱田神社・高座結御子神社・孫若御子神社、そして当社となる。

鎌倉時代の正応4年(1291年)、社殿が造営された記録がある。また、戦国時代の天文22年(1553年)、社殿造営のため勧進が行われたという。

元亀2年(1571年)『尾張国神明帳』では、「正二位上日割名神」とある。

江戸時代以前には八剣宮東南の御所町に鎮座した。海に突き出た熱田丘陵の先端に位置しており、海に臨む「干崎(ひさき)」と呼ばれたという。

江戸時代になり、貞享3年(1686年)、幕府によって修復が行われ、江戸時代中期の元文5年(1740年)、再度修造された。江戸時代は「日破宮」と称していた。

昭和20年(1945年)、戦災によって焼失。昭和57年(1982年)4月、旧地に造営された。例祭は6月5日。

【ご利益】
方除け、厄災除け、開運招福、家内安全
日割御子神社 愛知県名古屋市熱田区神宮
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