もとは大江山中腹の池ケ成鎮座の虫宮、4月に大虫神社と合同祭典
[住所]京都府与謝郡与謝野町温江字小森谷103
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小虫神社(こむしじんじゃ)は、京都府与謝郡与謝野町温江小森谷にある神社。『延喜式神名帳』にある「小虫神社(丹後国・与謝郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

創建は不詳。かつては温江虫本の大虫神社とともに、大江山中腹の池ケ成(いけがなる)という地に鎮座し、「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていた。

往昔大虫神社の御祭神である大国主命沼河姫と当地に居住している時、槌鬼(つちおに)という悪鬼の毒気に当てられた姫が病気に罹った。

これを嘆く大国主命のために、少名彦命が八色の息を吐きかけて槌鬼を追い出し、姫を回復させたが、今度はその息のために人や動植物が虫病に苦しむようになった。

そのため、少名彦命は「小虫」と名乗って、それぞれの体内から害源である悪虫を除くことを、大国主命は「大虫」を名乗って、体外から病を治すことを誓い合った。

この誓いにより、鏡を2面作ってそれぞれ分け持ったことから、「大虫」「小虫」の神として崇められるようになった。つまり、当社の御祭神は少名彦命。

また、億計王(おけのみこ。後の第24代仁賢天皇)と弘計王(をけのみこ。後の第23代顕宗天皇)が、父の斬殺とともに逃亡生活を強いられた際、一時潜伏したとも伝えられている。

第31代用明天皇の第三皇子で、聖徳太子の異母弟である麻呂子親王が大江山にいた土蜘蛛という鬼賊を征伐するに際して、自ら刻んだ神像を納めて立願したという伝説もある。

『延喜式神名帳』では大虫神社とともに名神大社に列し、現存する『丹後国神名帳』には「従一位 小虫明神」と記されている。

室町時代初期、大虫神社が池ケ成から現社地へ遷座するに際して、当社も現在地へ遷座した。遷座の事情や経緯は不明。

現在地は、野田川の中流域で加悦谷(かやだに)と称される地の東方台地上、大江山連峰の西山裾。

加悦谷には、国の史跡に指定されている蛭子山古墳や作山古墳などの古墳や遺跡が密集し、古代丹後地方における最先進地帯であったと見られている。

明治6年(1873年)2月に村社に列し、明治10年(1877年)に本殿の再建が竣功、それと同時に字谷垣の村社広垣神社(火産霊命)と字木積の無格社鬼人見神社(大山祇命)を合祀した。

戦後は神社本庁に参加している。

氏子区域は小森谷を始め、温江の尾上・門出・谷垣・尾佐・本村の6地区で、温江の残りの地区は大虫神社の氏子地域となる。

祭礼は大虫神社と合同で行われ、神楽と太刀振りが奉納される。奉納は江戸時代後半からというが、その由来は伝わっていない。

現在の例祭日は4月最終日曜日で、加悦谷の諸神社とともに「加悦谷祭」を構成する。

土曜日は宵宮で、早朝から大虫神社とともに、氏子区域全戸へ神楽と太刀振りが厄除けの門付けに訪れ、夕刻と翌日曜日の本祭に当社と大虫神社へ順次奉納される。

その際、宵宮で先に当社で奉納されれば本祭では大虫神社から奉納し、翌年には宵宮で大虫神社から、本祭で当社からと毎年順序が交替する決まり。

境内社に、若宮神社・小森神社・猫宮社がある。

【ご利益】
病気平癒、病魔退散
小虫神社 京都府与謝郡与謝野町温江小森谷
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