山椒やその油を朝廷に献上したはじかみ神社、おまき桜や木彫り狛犬
[住所]兵庫県豊岡市竹野町椒字岩内1738-2
[電話]0796-22-2029 - 小田井縣神社
㯮椒神社(はじかみじんじゃ)は、兵庫県豊岡市竹野町椒岩内にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「㯮椒神社(但馬国・気多郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。
漢字表記が難しく、はじかみ神社とも。地元では「ほそき」とも呼ばれ、一部にほそき神社とも。地名の椒は一字で「はじかみ」。
鎮座地は、古くから東方の番屋峠を越えたり、南方の太田越で神鍋高原方面を経由するなどして豊岡盆地へ通じている。
『延喜典薬寮式』諸国進雑薬条に但馬国から進上することが定められていた「蜀椒」1斗と当社との関連も指摘されている。
社伝によれば、飛鳥時代の白鳳14年(685年)、但馬国国司の榛原公鹿我麿が祖である大山守命を祀ったという。
翌朱鳥元年(686年)に当地で収穫した山椒の実を絞って得た油を朝廷へ献上したという。
御祭神は㯮椒大神。大山守命に関しては、絹巻神社にも伝承が残る。
平安時代の承和9年(842年)、官社に預り、貞観10年(869年)に従五位下から従五位上に昇叙され、『延喜式神名帳』では但馬国の名神大社十社の一つ。
ちなみにに同じく但馬国の名神大社である山神社・戸神社・雷神社・海神社(論社に絹巻神社と海神社)も官社列格、従五位上昇叙ともに同時である。
時期不明ながら山城国の石清水八幡宮から八幡神を勧請したらしく、中世以降は「枡(椒)別宮」として同宮の但馬八所別宮の一とされた。
竃浦時代の弘安8年(1285年)の年紀を持つ但馬国の大田文にも、「八幡宮領椒別宮」とあり、同宮の荘園の鎮守神とされ、以降専ら「八幡宮」と称された。
また、大岡山山腹にあった大岡寺との関係も深く、同寺の北の寺域を示す境界には当社の鳥居が建てられていた記録があり、近世には同寺が別当寺だった。
延宝7年(1679年)や享保6年(1721年)の記録によると、鎮座地周辺に7畝の社領を有した。
また、山間部ながら近在の段に生野代官による金山経営が行われ、小規模な鉱山集落が形成されたため、天保5年(1834年)には氏子140戸を数えた。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治22年(1889年)に本殿を再建、幣殿を新築し、昭和27年(1952年)に本殿周りを改修した。
大正時代までは旧暦8月15日を祭日とし、その後太陽暦の9月15日へ、同10月1日へと変わり、現在は10月15日。
かつては氏子中から神事に奉仕する「鍵番」と呼ばれる役を選んで祭祀を行っており、宮座や頭屋制によって斎行されていた。
境内社に、祇園社がある。本社鎮座地の北麓に鎮座し、下宮とも。本地仏としての薬師如来像を祀る。社前にはおまき桜がある。
おまき桜は、樹齢500年、樹高14.5メートル、根回り7メートル、目通り樹幹6,05メートル。町の天然記念物に指定され、現在は市の文化財。県指定郷土記念物。
室町時代の作と推定される木彫りの狛犬が伝わる。阿形は高69センチ、吽形は高60センチ。ともに彩色が施されている点が珍しい。市指定文化財。
現在は、小田井縣神社の兼務神社。
【ご利益】
小姓・調味料、産業・物流振興、地域安全

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[電話]0796-22-2029 - 小田井縣神社
㯮椒神社(はじかみじんじゃ)は、兵庫県豊岡市竹野町椒岩内にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「㯮椒神社(但馬国・気多郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。
漢字表記が難しく、はじかみ神社とも。地元では「ほそき」とも呼ばれ、一部にほそき神社とも。地名の椒は一字で「はじかみ」。
鎮座地は、古くから東方の番屋峠を越えたり、南方の太田越で神鍋高原方面を経由するなどして豊岡盆地へ通じている。
『延喜典薬寮式』諸国進雑薬条に但馬国から進上することが定められていた「蜀椒」1斗と当社との関連も指摘されている。
社伝によれば、飛鳥時代の白鳳14年(685年)、但馬国国司の榛原公鹿我麿が祖である大山守命を祀ったという。
翌朱鳥元年(686年)に当地で収穫した山椒の実を絞って得た油を朝廷へ献上したという。
御祭神は㯮椒大神。大山守命に関しては、絹巻神社にも伝承が残る。
平安時代の承和9年(842年)、官社に預り、貞観10年(869年)に従五位下から従五位上に昇叙され、『延喜式神名帳』では但馬国の名神大社十社の一つ。
ちなみにに同じく但馬国の名神大社である山神社・戸神社・雷神社・海神社(論社に絹巻神社と海神社)も官社列格、従五位上昇叙ともに同時である。
時期不明ながら山城国の石清水八幡宮から八幡神を勧請したらしく、中世以降は「枡(椒)別宮」として同宮の但馬八所別宮の一とされた。
竃浦時代の弘安8年(1285年)の年紀を持つ但馬国の大田文にも、「八幡宮領椒別宮」とあり、同宮の荘園の鎮守神とされ、以降専ら「八幡宮」と称された。
また、大岡山山腹にあった大岡寺との関係も深く、同寺の北の寺域を示す境界には当社の鳥居が建てられていた記録があり、近世には同寺が別当寺だった。
延宝7年(1679年)や享保6年(1721年)の記録によると、鎮座地周辺に7畝の社領を有した。
また、山間部ながら近在の段に生野代官による金山経営が行われ、小規模な鉱山集落が形成されたため、天保5年(1834年)には氏子140戸を数えた。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治22年(1889年)に本殿を再建、幣殿を新築し、昭和27年(1952年)に本殿周りを改修した。
大正時代までは旧暦8月15日を祭日とし、その後太陽暦の9月15日へ、同10月1日へと変わり、現在は10月15日。
かつては氏子中から神事に奉仕する「鍵番」と呼ばれる役を選んで祭祀を行っており、宮座や頭屋制によって斎行されていた。
境内社に、祇園社がある。本社鎮座地の北麓に鎮座し、下宮とも。本地仏としての薬師如来像を祀る。社前にはおまき桜がある。
おまき桜は、樹齢500年、樹高14.5メートル、根回り7メートル、目通り樹幹6,05メートル。町の天然記念物に指定され、現在は市の文化財。県指定郷土記念物。
室町時代の作と推定される木彫りの狛犬が伝わる。阿形は高69センチ、吽形は高60センチ。ともに彩色が施されている点が珍しい。市指定文化財。
現在は、小田井縣神社の兼務神社。
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