山宮と称された下り宮、ホオノキ・ケヤキの巨木、但馬名神十社の一つ
山神社 兵庫県豊岡市日高町山宮409-3
[住所]兵庫県豊岡市日高町山宮409-3
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山神社(やまじんじゃ)は、兵庫県豊岡市日高町山宮にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「山神社(但馬国・気多郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。

『国司文書 但馬故事記』(第一巻・気多郡故事記)に、第34代舒明天皇3年(631年)秋8月、第11代垂仁天皇の皇子である五十日帯彦命の裔・山公峯男を多遅麻国造とした。

山部を司る山公峯男は、その祖である五十日帯彦命を太多村に祀り、山宮と称したのに始まる。

五十日帯彦命は第15代応神天皇の御世、但馬国気多郡に山守部を置いたとされる。山ノ公の祖とされる。

しかし、社伝によれば、第29代欽明天皇2年(541年)2月9日の創立と伝えられ、もとは現在地の北山の聖岩に鎮座したという。

御祭神は、主祭神が大山祇神で、随神として句句廼馳命埴山姫神を祀る。

奈良時代の天平神護元年(765年)4月8日、現在地に遷座。平安時代の承和9年(842年)には官社に預り、貞観10年(867年)、神階が従五位上に進叙した。

『延喜式神名帳』では但馬国の名神大社十社の一つ。ちなみにに同じく但馬国の名神大社である戸神社雷神社・海神社(論社に絹巻神社海神社)・㯮椒神社も官社列格、従五位上昇叙ともに同時である。

鎌倉時代には、源頼朝が神領として33石、山3町四面を寄進したと伝えられ、江戸時代には藩主仙石氏の崇敬を受け、例祭は代参または直参。

江戸時代中期の宝永3年(1706年)、本殿を建立し、さらに明治27年(1894年)に再建したのが現在の本殿。

拝殿も含め、8代目中井権次橘正胤36歳頃の秀作とされる彫刻が見所。

明治6年(1873年)10月、村社に列し、明治41年(1908年)に三柱・八幡・八坂の三神社を合祀し、稲荷神社を境内に奉斎した。

現在は、火結神奧津彦神奧津姫神倉稲魂命保食神櫛稲田姫神・品陀和気命・速素盞嗚命を合祀する。

特殊行事として、祈雨祭(雨乞祭)がある。毎年行われることはなく、干ばつで農作業に仕障をきたすような場合に行われる。昭和53年(1978年)にも行われた。

境内が道路わきの入り口より下にある珍しい下り宮の形式。市指定天然物となっている社叢は、広大な境内に朴(ホオノキ)の巨木が茂る。根廻り9.5メートルのものが御神木。

また、樹高20メートル、目通り幹囲5.2メートル、推定樹齢300年のケヤキの巨樹もある。

【ご利益】
木の神、リフレッシュ、祈雨・天候
山神社 兵庫県豊岡市日高町山宮
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