木更津総鎮守、日本武尊「君去らず」、頼朝・家康の崇敬、例祭は7月
[住所]千葉県木更津市富士見1-6-15
[電話]0438-23-8881

八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)は、千葉県木更津市富士見にある神社。木更津総鎮守で、近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

古来、当地一帯は八剱の里と呼ばれ、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕える祝(神職)を八剱といったという。

御祭神は、誉田別命(応神天皇)・息長足姫命(神功皇后)・足仲彦命(仲哀天皇)・素盞鳴命・日本武尊。

第12代景行天皇40年、日本武尊が東征の際、相模国から当地に渡ろうとする時、浦賀沖で暴風雨に遭遇し、転覆寸前となった。

そこで、妃の橘姫が海の神の怒りを鎮めようと、入水。そこで、日本武尊は無事渡海できた。その際、日本武尊が橘姫の死を悼んで逗留したのが当社だとされる。

そのため、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。

鎌倉時代初期、源頼朝が鎌倉開幕にあたり、当社に神領を寄進し、社殿を造営したという。

安土桃山時代の天正19年(1591年)、徳川家康は社領として3石2斗を寄進、朱印地とした。

慶長19年(1614年)、大阪冬の陣が起こると、木更津より多くの船頭が召出され、向井忠勝、小浜光隆のもとで目覚しい働きをした。

これも当社の霊験加護の賜物であるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻と銀子を贈り、神恩に感謝したという。

江戸時代中期の宝暦2年(1751年)、木更津の大火により社殿焼失。安永2年(1773年)に現社殿が再建された。

寛政9年(1797年)に社殿を修理。明治4年(1871年)には郷社に列し、大正3年(1914年)には社殿の大改修が行われた。

昭和55年(1980年)の社殿改修に際しては、162枚の格天井装飾画も復元された。

例祭は7月第2金曜日で、本殿祭。翌土・日曜日に大神輿の巡幸がある。

2月3日が節分祭で、午後6時から本殿で祭典、その後に青年会有志による追儺式が行われ、景品引換券入りの豆撒きがある。

末社に、三社神社(御嶽神社・三峰神社・稲荷神社)と、祖神社(屋船久久能知神・屋船豊受姫神・手置帆負神・彦狭知神)がある。

当社の御神水は、神域地下150メートルの水脈より汲み上げられる。「吉方の水」としてお水取りも盛ん。御神砂もある。

市のご当地ヒーロー特撮テレビドラマ『鳳神ヤツルギ』ゆかりで、主人公のヤツルギは、当社から命名されたもの。

【ご利益】
厄災除け、交通安全、商売繁盛、学業・受験合格(公式HP
八剱八幡神社 千葉県木更津市富士見
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八剱八幡神社 千葉県木更津市富士見の御朱印