天富命の上陸地、二つの鳥居と富士山が直線上に、青木繁『海の幸』
[住所]千葉県館山市布良379
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布良崎神社(めらさきじんじゃ)は、千葉県館山市布良にある神社。近代社格では郷社。安房神社の前殿、いわゆる下社とされる。御朱印の有無は不明。

当社の主祭神は、天富命。東方開拓のために、布良の駒ヶ崎に上陸した。祖神である天太玉命を男神山に、后神である天比理刀咩命を女神山に奉斎した。

以後、開拓の歩を進め北上し、特に麻や穀の播殖を奨励、精錬技術に優れていたために建築を、また漁業技術を指導したと伝わる。

この男神山に奉斎した天太玉命が後に遷座して、現在の安房神社に、女神山の天比理刀咩命が遷座して、現在の洲宮神社となったという。

相殿に須佐之男尊金山彦命を祀る。境内前の社標には、東国鎮護とみえる。

例祭は7月20日。この日を過ぎた土曜日に神輿渡御がある。大規模な神輿で、担ぎ棒も太い丸太、それが男衆によって威勢よく担がれる。

海岸では、海上安全・大漁祈願や巫女の舞も行われる。

歳旦祭が1月1日、歳祭が旧暦1月1日、大祓が6月30日、除夜祭が12月31日。

空気が澄めば、当社の二の鳥居・一の鳥居を通じて、遠く富士山が並んで見える。カメラマンがここに押し寄せることもあるという。

境内には、平安時代初期に祀られたといわれる岩座(磐座)がある。一の鳥居とこの岩座を結ぶ直線状に太陽が沈むのが夏至、岩座の海への直線上に太陽が沈むのが夏至だという。

富士山、一の鳥居、二の鳥居、夕日が重なる時期が、当社の祭典の日と合致する。ただし、現在は新暦によって斎行されるため、ずれる。

明治9年(1876年)、布良の大火で当社も類焼、社殿などもすべて焼失した。それに関連するものが境内には多い。

今後類焼を防ぐために、当社の社殿は瓦葺とし、20間の近在の家々も茅葺の屋根が禁じられた。その際に焼かれたのが三州瓦・鬼瓦。

また、火災対策として、裏山を削り取って社殿を建替えする工事をしている時に発見された新岩座がある。明治10年(1877年)奉斎。

また、その裏山の工事で発掘されたのが房州細石。100年間、そうとは知らずに手水鉢として加工・使用されたが、平成になって、房州の細石と分かり、境内に安置されている。

社殿に上がる石段の脇には「玉石垣」がある。東伊豆の稲取から運ばれた石で、積み上げるのが難しい丸い石を使っている。関東大震災の時も、崩れなかったという。

境内社に大山津見神(大山祇神)がある。

明治期の洋画家である青木繁(1882年-1911年)の不朽の名作とされる『海の幸』は、当社や近在で描かれたものとされる。滞在した小谷家は、当社の氏子総代を務めていた。

【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足、家内安全、地域振興、火防
布良崎神社 千葉県館山市布良
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