忌部氏による房総半島南部の開拓、勝占が勝浦に、9月に神輿渡御
[住所]千葉県勝浦市浜勝浦1
[電話]0470-73-0034
遠見岬神社(とみさきじんじゃ)は、千葉県勝浦市浜勝浦にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
初代神武天皇の側近として活躍した天富命は、阿波の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波忌部氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸した。
その地に祖神である天太玉命を祀る社を建て、安房の開拓を進めたが、当地で没したという。
その後、天太玉命の臣とされる天日鷲神の後裔である勝占の忌部須須立命は、八幡岬突端富貴島の天冨命の居跡に社殿を建立、開拓の祖神として、天富命を祀ったのが当社の起こり。
江戸時代初期、慶長6年(1601年)の大津波で岬突端の富貴島にあった社殿は流され、社宝の多くが流失した。
この時倒壊した社殿と御神体が高磯の浜に流れ着き、流れ着いた「宮の谷」に社殿を再造営し、その後里見氏・安房正木氏および近郷領主から崇敬されたという。
江戸時代前期の万治2年(1659年)、領主植村土佐守が神占によって現在地の「宮山」に遷祀した。現在の社殿は嘉永2年(1849年)の改築である。
江戸時代までは富大明神と称したが、明治6年(1873年)、現社号に改称して郷社に列した。
もともとの社殿のあった富貴島は、津波や元禄16年(1703年)の大地震で海没し、現在は一部が平島として残されているのみである。
なお、勝占の忌部が住んだこの地は勝占と呼ばれるようになり、「勝浦」の地名の由来といわれている。
例祭は9月13日。現在は9月第3土・日・月曜日に行われる。初日の土曜日が例祭で、神幸祭があり、神輿渡御がある。
日曜日と月曜日には屋台曳き回しがあり、月曜日の最終日には船渡神事がある。
3月上旬に行われるかつうらビッグひな祭りでは、全国から寄せられた約3万体のひな人形が街中に飾られるが、当社境内の石段も即席のひな壇になり、壮観。
境内社に、八幡神社、西宮神社、火防稲荷神社などがある。男性向けの勝男(かつお)みくじと、女性向けの金女(きんめ)みくじがある。
【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足、厄災除け(公式HP)

【関連記事】
・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
[電話]0470-73-0034
遠見岬神社(とみさきじんじゃ)は、千葉県勝浦市浜勝浦にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
初代神武天皇の側近として活躍した天富命は、阿波の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波忌部氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸した。
その地に祖神である天太玉命を祀る社を建て、安房の開拓を進めたが、当地で没したという。
その後、天太玉命の臣とされる天日鷲神の後裔である勝占の忌部須須立命は、八幡岬突端富貴島の天冨命の居跡に社殿を建立、開拓の祖神として、天富命を祀ったのが当社の起こり。
江戸時代初期、慶長6年(1601年)の大津波で岬突端の富貴島にあった社殿は流され、社宝の多くが流失した。
この時倒壊した社殿と御神体が高磯の浜に流れ着き、流れ着いた「宮の谷」に社殿を再造営し、その後里見氏・安房正木氏および近郷領主から崇敬されたという。
江戸時代前期の万治2年(1659年)、領主植村土佐守が神占によって現在地の「宮山」に遷祀した。現在の社殿は嘉永2年(1849年)の改築である。
江戸時代までは富大明神と称したが、明治6年(1873年)、現社号に改称して郷社に列した。
もともとの社殿のあった富貴島は、津波や元禄16年(1703年)の大地震で海没し、現在は一部が平島として残されているのみである。
なお、勝占の忌部が住んだこの地は勝占と呼ばれるようになり、「勝浦」の地名の由来といわれている。
例祭は9月13日。現在は9月第3土・日・月曜日に行われる。初日の土曜日が例祭で、神幸祭があり、神輿渡御がある。
日曜日と月曜日には屋台曳き回しがあり、月曜日の最終日には船渡神事がある。
3月上旬に行われるかつうらビッグひな祭りでは、全国から寄せられた約3万体のひな人形が街中に飾られるが、当社境内の石段も即席のひな壇になり、壮観。
境内社に、八幡神社、西宮神社、火防稲荷神社などがある。男性向けの勝男(かつお)みくじと、女性向けの金女(きんめ)みくじがある。
【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足、厄災除け(公式HP)

【関連記事】
・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧

コメント