香取神宮の第一摂社、御祭神は神秘、1月第2日曜日に奇祭・髭撫祭
[住所]千葉県香取市大倉5
[電話]0478-57-1545

側高神社(そばたかじんじゃ)は、千葉県香取市大倉にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『香取志』には、当社は香取神宮の第一摂社とある。社伝では、香取神宮と同じ、初代神武天皇18年の創建という。

香取神宮との強い関連がある。下記は当社に伝わる伝承。
側高神が香取神の命により、陸奥の馬2000疋を捕らえて霞ヶ浦の浮島まで帰ってきたところ、陸奥神が馬を惜しんで追いかけてきた。

そこで側高神は霞ヶ浦を干潮にして馬を下総に渡らせ、次いで満潮にして陸奥神を渡れなくしたという。
古来より当社御祭神は神秘とされ、明らかではない。現在は一般名称として「側高大神」と称される。通称は側高様。

『香取郡誌』では、主祭神を高皇産霊尊神皇産霊尊、相殿神を天日鷲命・経津主命天児屋根命武甕槌命・姫御神としている。

この祭神の中に忌部氏系の天日鷲命が見られることと、当社の成立との関係性が指摘される。

また、香取神宮御祭神の経津主神の后神が当社の御祭神であるという説もある。経津主神の后神が御祭神とされる神社に、大阪府羽曳野市駒ヶ谷の杜本神社がある。

鎌倉時代の寛元元年(1243年)の文書には、同宮とともに造替があったことが見え、その際の社殿は一間で茅葺、作料官米30石が造営に充てられたという。

江戸時代の慶長12年(1607年)、元禄13年(1700年)、江戸幕府による香取神宮修造の際にも、同時に当社の修造が行なわれた。

現在の本殿は、この慶長年間より伝わるもので、寛文5年(1665年)の建立とも。安土桃山時代の特色がみられる。県の文化財に指定されている。

なお、これらの古文書には「脇鷹」「曽波鷹」という表記も見られる。

古くは当社の末社に大倉字石神代の落書神社(おとしぶみじんじゃ)と大倉字一夜山の一夜山神社(ひとよやまじんじゃ)があったが、いずれも明治41年(1908年)に合祀された。

落書神社は、鹿島神宮の神が香取神に文を出し、使いの鹿が猟師に狙われた時に文を落とし、その心労のために死んだ鹿を祀った社と伝わる。

また一夜山神社は、痘瘡除けとして信仰された神社である。

大正5年(1916年)、御大礼記念として社殿を改造。昭和6年(1931年)、国鉄成田線工事のために神井を現在地の鳥居脇に移設した。

例祭は12月7日で、側高祭。1月第2日曜日午後には髭撫祭(ひげなでまつり)が行われる。鎌倉時代の建保2年(1214年)に始まったと伝わる奇祭。

地区の当番引継ぎ行事(いわゆるオビシャ)で、羽織袴を着た新旧当番地区の人が互いに向き合って座り、ひげを撫でたら大きな椀でお酒を飲みあう。市指定無形文化財。

鳥居をくぐって拝殿へと向かう石段の脇に、「四季の甕」と呼ばれる石段が並ぶ。石段の側から春の甕、夏の甕、秋の甕、冬の甕という。

それぞれの甕の水量が四季折々の降水量を示すとされている。

境内には老杉が生い茂り、裏山からは筑波山、利根川、鹿島の森を一望に見られ、風光明媚な景色を楽しめるスポットとしても知られる。

なお、利根川下流域には「そばたか」と社名を読む神社が多く分布するが、当社はそれらの本社とされる。

【ご利益】
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側高神社 千葉県香取市大倉
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側高神社 千葉県香取市大倉の御朱印