酒弥豆男神・酒弥豆女神、愛知県一宮市の元伊勢・酒見神社とも関係?
[住所]東京都千代田区千代田1-1
[電話]-
酒殿神社(さかどのじんじゃ)は、『延喜式』巻9・10神名帳 宮中京中 宮中坐神 造酒司坐神「酒殿神社二座」に比定される式内社(小社)である。
酒造司(みきのつかさ/さけのつかさ)は、律令制の下で置かれた役所で宮内省に属した。豊樂院の東南、典藥寮の西隣にあった。
主な職務は酒や醴・酢などの醸造。酒などを醸造するための酒殿が設置され、別当、弁などの職が置かれていた。当社名からもこの酒殿との関連がうかがえる。
平安時代の貞観元年(859年)、酒殿神に従五位下と見え、貞観3年(861年)には造酒司の酒美豆男神・酒美豆女神に従五位上とある。
酒美豆男神・酒美豆女神は、酒弥豆男神(酒彌豆男神)・酒弥豆女神(酒彌豆女神)とされ、酒を醸す際に最も重要な浄水である酒水(さかみず)の守護神とされる。
愛知県一宮市今伊勢町に酒見神社がある。元伊勢「中島宮」の伝承を残す古社で、酒弥豆男神・酒弥豆女神が祀られている。山城国綴喜郡には佐牙神社、但馬国城崎郡には酒垂神社がある。
その酒見神社は、当社神に神階が叙される3年前の斉衡3年(856年)、勅命により、伊勢の神宮(伊勢神宮)に供える御神酒を造ったと伝わる。
当社との関係は不明だが、伊勢神宮の御神酒を造る神である酒見神社を宮中に勧請して、当社が成立したと考えても特段の矛盾はない。
また、和歌山県伊都郡かつらぎ町に丹生酒殿神社があり、当地で酒造を広めた丹生都比売命やその御子神である高野御子を祀る。当社との関連は不明。
当社も、中世には衰退、南北朝時代までは古代の形が維持されたものの、その後応仁の乱頃までには完全に廃絶したとされる。
同じく衰退し、明治になり復興した八神殿が、天神地祇などを合祀して「神殿」となった際、その天神地祇には当社も含まれているとされる。
であれば、当社は現在、皇居の宮中三殿の一つ神殿に継承されていることになる。
【ご利益】
酒造や醸造のための浄水の守護神
『延喜式神名帳』宮中造酒司坐神六座
・大宮売神社四座
・酒殿神社二座
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酒殿神社(さかどのじんじゃ)は、『延喜式』巻9・10神名帳 宮中京中 宮中坐神 造酒司坐神「酒殿神社二座」に比定される式内社(小社)である。
酒造司(みきのつかさ/さけのつかさ)は、律令制の下で置かれた役所で宮内省に属した。豊樂院の東南、典藥寮の西隣にあった。
主な職務は酒や醴・酢などの醸造。酒などを醸造するための酒殿が設置され、別当、弁などの職が置かれていた。当社名からもこの酒殿との関連がうかがえる。
平安時代の貞観元年(859年)、酒殿神に従五位下と見え、貞観3年(861年)には造酒司の酒美豆男神・酒美豆女神に従五位上とある。
酒美豆男神・酒美豆女神は、酒弥豆男神(酒彌豆男神)・酒弥豆女神(酒彌豆女神)とされ、酒を醸す際に最も重要な浄水である酒水(さかみず)の守護神とされる。
愛知県一宮市今伊勢町に酒見神社がある。元伊勢「中島宮」の伝承を残す古社で、酒弥豆男神・酒弥豆女神が祀られている。山城国綴喜郡には佐牙神社、但馬国城崎郡には酒垂神社がある。
その酒見神社は、当社神に神階が叙される3年前の斉衡3年(856年)、勅命により、伊勢の神宮(伊勢神宮)に供える御神酒を造ったと伝わる。
当社との関係は不明だが、伊勢神宮の御神酒を造る神である酒見神社を宮中に勧請して、当社が成立したと考えても特段の矛盾はない。
また、和歌山県伊都郡かつらぎ町に丹生酒殿神社があり、当地で酒造を広めた丹生都比売命やその御子神である高野御子を祀る。当社との関連は不明。
当社も、中世には衰退、南北朝時代までは古代の形が維持されたものの、その後応仁の乱頃までには完全に廃絶したとされる。
同じく衰退し、明治になり復興した八神殿が、天神地祇などを合祀して「神殿」となった際、その天神地祇には当社も含まれているとされる。
であれば、当社は現在、皇居の宮中三殿の一つ神殿に継承されていることになる。
【ご利益】
酒造や醸造のための浄水の守護神
『延喜式神名帳』宮中造酒司坐神六座
・大宮売神社四座
・酒殿神社二座
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