平安期は鳴雷神祭に中臣の官人が派遣された、春日大社の境外末社
[住所]奈良県奈良市春日野町
[電話]0742-22-7788 - 春日大社
鳴雷神社(めいらいじんじゃ)は、奈良県奈良市春日野町にある神社で、春日大社の境外末社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「鳴雷神社(大和国・添上郡)」に比定される式内社(大社)。
春日山稜線の南端に近い標高380メートルの山林の中に鎮座し、春日山中から流れる水は佐保川・能登川の源流であり付近一帯を潤す。現在は小祠が残るのみ。
春日奥山ドライブウェイが、東海自然歩道の一部で石敷の旧柳生街道と交わる地点から北約150メートルに所在する高山神社の、さらに北約100メートル。
急坂を登った杉林の狭い台地の一段高い南斜面に鎮座する。社前の古池が「龍王池(竜王池)」。善女龍王ゆかりで、この池がそもそもの御神体であり、水源祭祀の対象となっていたという。
創建は不詳。御祭神は天水分神。例祭は10月2日。もとは高山龍王社・高山竜王社などとも。奈良の水源に多い龍王社の一つ。
大正12年(1923年)、竜王池から石製塔婆(経筒)が発見された。そこには鎌倉時代末期の正安3年(1301年)の祈雨神事の銘文があった。
高山神社も当社も水に関わる神を祀り、近世には春日山中にある他の神社、神野社・上水谷社・本宮社を含めた五社を春日大社の神官が巡拝登山して、祈雨神事を行った。
式内社「鳴雷神社」は、『日本三代実録』によれば、貞観元年(859年)7月5日に従五位下に叙せられ官社となった。
『延喜式』巻第一の四時祭の二月祭条に「鳴雷神祭一座十一月准此。坐大和国添上郡 右差中臣一人供祭」とあり、2月・11月の鳴雷神祭に中臣の官人が遣わされた。
なお、『延喜式神名帳』宮中主水司坐神一座に鳴雷神社があるが、当社からの勧請の可能性がある。
岩手県九戸郡洋野町大野地区にも当社と同名の神社があるが、関連は不詳。
【ご利益】
水・水源の神、祈雨・天候の神、五穀豊穣、健康長寿
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・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
[電話]0742-22-7788 - 春日大社
鳴雷神社(めいらいじんじゃ)は、奈良県奈良市春日野町にある神社で、春日大社の境外末社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「鳴雷神社(大和国・添上郡)」に比定される式内社(大社)。
春日山稜線の南端に近い標高380メートルの山林の中に鎮座し、春日山中から流れる水は佐保川・能登川の源流であり付近一帯を潤す。現在は小祠が残るのみ。
春日奥山ドライブウェイが、東海自然歩道の一部で石敷の旧柳生街道と交わる地点から北約150メートルに所在する高山神社の、さらに北約100メートル。
急坂を登った杉林の狭い台地の一段高い南斜面に鎮座する。社前の古池が「龍王池(竜王池)」。善女龍王ゆかりで、この池がそもそもの御神体であり、水源祭祀の対象となっていたという。
創建は不詳。御祭神は天水分神。例祭は10月2日。もとは高山龍王社・高山竜王社などとも。奈良の水源に多い龍王社の一つ。
大正12年(1923年)、竜王池から石製塔婆(経筒)が発見された。そこには鎌倉時代末期の正安3年(1301年)の祈雨神事の銘文があった。
相当此年炎干過去之間、為国土豊穣、於断食七箇日参籠高山社、仍結日降法雨、然間為果宿願、於春日社壇、奉転読法花妙典一千部、成現当二世悉地仍注結縁衆交名、奉納塔婆内而己、正安三年辛丑九月日勧進沙門西念 敬白僧の西念が塔婆を奉納した正安3年は、東金堂衆が水船を高山神社に奉納した正和4年(1315年)に近い。また、西念が参籠したのも高山神社とある。
高山神社も当社も水に関わる神を祀り、近世には春日山中にある他の神社、神野社・上水谷社・本宮社を含めた五社を春日大社の神官が巡拝登山して、祈雨神事を行った。
式内社「鳴雷神社」は、『日本三代実録』によれば、貞観元年(859年)7月5日に従五位下に叙せられ官社となった。
『延喜式』巻第一の四時祭の二月祭条に「鳴雷神祭一座十一月准此。坐大和国添上郡 右差中臣一人供祭」とあり、2月・11月の鳴雷神祭に中臣の官人が遣わされた。
なお、『延喜式神名帳』宮中主水司坐神一座に鳴雷神社があるが、当社からの勧請の可能性がある。
岩手県九戸郡洋野町大野地区にも当社と同名の神社があるが、関連は不詳。
【ご利益】
水・水源の神、祈雨・天候の神、五穀豊穣、健康長寿
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