井戸の神を含む天皇の宮殿の守護神、『延喜式神名帳』序列2位
座摩神。写真は現存の関連社である坐摩神社の拝殿
[住所]東京都千代田区千代田1-1
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座摩巫祭神五座(いかすりのみかんなぎごさいじんござ)は、『延喜式』巻9・10神名帳 宮中京中 宮中坐神 神祇官西院坐御巫等祭神「座摩巫祭神五座」に比定される式内社(大社、月次新嘗)である。

「いかすりのみかんなぎのまつるかみござ」とも。神祇官西院において祀られた次の5柱の神の総称である。

・生井神(いくゐのかみ/いくいのかみ)
・福井神(さくゐのかみ/さくいのかみ)
・綱長井神(つながゐのかみ/つながいのかみ)
波比祇神(はひきのかみ)
阿須波神(あすはのかみ)

「いかすり」は「居処領(いかしり)」または「居所知」の転と見られ、総じて宮所守護の神々とされる。

生井神・福井神・綱長井神は井戸の神々であるが、井泉をもって宮殿の象徴とする様は『万葉集』「藤原宮御井歌」にも見える。

島根県出雲市斐川町直江の御井神社付近に現存の三つの井戸があるが、神話の時系列として考えるのならば、これが最も古い起源になる。

波比祇神・阿須波神については具体的には明らかでないが、宮中の敷地を守る神々とされる。『古事記』に、大年神天知迦流美豆比売の子として登場する。

古くは『続日本紀』において、奈良時代の天平9年(737年)に「坐摩御巫」が爵を賜ったと見える。

平安時代、大同2年(807年)編纂の『古語拾遺』では、これら座摩神を「大宮地の霊(おおみやどころのみたま)」と記している。

神祇官西院では、最重要視される大御巫8神は八神殿に東向きで祀られていたが、他の当5柱・御門巫8神生島巫2神は北庁内に南向きで祀られた。

座摩神について、『延喜式』祝詞・六月月次祭祝詞・神名帳に記述が見えるが、いずれも大御巫8神に次ぐ2番目に位置づけられている。

また『延喜式』臨時祭の御巫条・座摩巫条によると、他の御巫は庶民から選んで良かったのに対して、座摩巫だけは都下国造一族の7歳以上の女子から選ぶと規定されている。

大阪府大阪市中央区に鎮座する、当5柱と関連すると考えられる座摩神社の神主渡辺家の伝承では、この家から座摩巫を出したという。

当5柱含む神祇官の祭祀は、中世には衰退するが、南北朝時代までは古代の形が維持された。しかし、その後応仁の乱頃までには完全に廃絶したとされる。

同じく衰退し、明治になり復興した八神殿が、天神地祇などを合祀して「神殿」となった際、その天神地祇には当5柱も含まれているとされる。

であれば、当5柱は現在、皇居の宮中三殿の一つ神殿に継承されていることになる。

京都府京都市上京区に鎮座する福長神社は当5柱のうち福井神・綱長井神の後継社であると伝える。

また、当5柱を忠実に御祭神とする神社に大阪府岸和田市積川町に鎮座する和泉国四宮の積川神社、福井県福井市足羽の足羽神社がある。いずれも式内。

波比祇神については、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)、所管社の一社で、正宮の御垣内に鎮座する屋乃波比伎神がある。

当5柱の関連社とされる先の坐摩神社、同じく宮中奉斎神の一つである生嶋巫祭神二座との関連が指摘される大阪府大阪市天王寺区の生國魂神社とあわせ、朝廷による難波の重視を示しているとの見解がある。

【ご利益】
天皇陛下の宮居・敷地の守護神
座摩巫祭神五座 いわゆる座摩神。写真は現存の関連社である坐摩神社の拝殿
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『延喜式神名帳』神祇官西院23座の同心円構造
・天皇の身体 御巫等祭神八座
・宮殿の敷地 座摩巫祭神五座
・門の守護神 御門巫祭神八座
・国土の神霊 生嶋巫祭神二座