鎌倉時代前期の創建、それ以来のどぶろく祭りは現在11月23日の昼
[住所]三重県熊野市育生町尾川644
[電話]-
大森神社(おおもりじんじゃ)は、三重県熊野市育生町尾川にある神社。御朱印の有無は不明。
口承によると、鎌倉時代前期の建保年中(1213年-1219年)に尾川に住した太夫という者が、奈良の春日大社に参詣した際、小さな神鏡を請けて帰郷した。
これを天児屋根命の御神体として、尾川字高瀬森山という川辺の森に尾川・長井・粉所三村の氏神として奉祭したのが始まりという。
江戸時代になり、承応元年(1653年)7月、洪水によって社殿が流失したため、明暦3年(1657年)9月に旧社地より尾川川下流沿岸の地、現在地に新たに社殿を造営した。
また、当社には延宝5年(1677年)9月29日より、安政4年(1857年)までの棟札を所蔵、江戸期を通じてほぼ20年ないし40年に1回の造営遷宮が行われていた。
それらの棟札全てに「春日大明神」という表記が使われており、当社は近世を通じてそう呼ばれていたことが分かる。
明治40年(1907年)に官許を得て、大字大井村鎮座の村社高瀬神社(八幡大神)、大字赤倉村鎮座の丹倉神社(祭神不詳)二社を合祀した。
次いで同年12月12日に当社境内社の稲荷神社(倉稲魂命)二社を合祀。
なお、高瀬神社は、かつて紀伊国牟呂郡大沼村に住む澤井甚兵衛の鎮守であったが、明治12年(1879年)9月に村社として奉斎されることになったという。
神明造りの神社が多いこの地域の中では珍しく、本殿は古式を残す1間社の春日造り。
例祭は11月23日。「どぶろく祭り」である。800年の伝統がある、とのことだから、ほとんど創建以来からの行事。
当日は10時から神事が行われ、12時にどぶろくの振る舞いがあり、余興がある。14時30分にはもちほりが行われる。杉木立ちと清流に囲まれた境内はほろ酔い気分に包まれる。
米の豊作を神に感謝し、来年の五穀豊穣を祈って行われる祭礼用のどぶろくは、例祭の1ヶ月前から仕込みが始まり、以後は1日3回温度を調べて例祭まで大切に保存される。
その他、春祭が4月3日、夏祭が8月15日。
【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、地域振興、酒造

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・全国各地のどぶろく祭り - 主にどぶろく醸造許可の神社で参拝者に振舞う祭りがある神社
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大森神社(おおもりじんじゃ)は、三重県熊野市育生町尾川にある神社。御朱印の有無は不明。
口承によると、鎌倉時代前期の建保年中(1213年-1219年)に尾川に住した太夫という者が、奈良の春日大社に参詣した際、小さな神鏡を請けて帰郷した。
これを天児屋根命の御神体として、尾川字高瀬森山という川辺の森に尾川・長井・粉所三村の氏神として奉祭したのが始まりという。
江戸時代になり、承応元年(1653年)7月、洪水によって社殿が流失したため、明暦3年(1657年)9月に旧社地より尾川川下流沿岸の地、現在地に新たに社殿を造営した。
また、当社には延宝5年(1677年)9月29日より、安政4年(1857年)までの棟札を所蔵、江戸期を通じてほぼ20年ないし40年に1回の造営遷宮が行われていた。
それらの棟札全てに「春日大明神」という表記が使われており、当社は近世を通じてそう呼ばれていたことが分かる。
明治40年(1907年)に官許を得て、大字大井村鎮座の村社高瀬神社(八幡大神)、大字赤倉村鎮座の丹倉神社(祭神不詳)二社を合祀した。
次いで同年12月12日に当社境内社の稲荷神社(倉稲魂命)二社を合祀。
なお、高瀬神社は、かつて紀伊国牟呂郡大沼村に住む澤井甚兵衛の鎮守であったが、明治12年(1879年)9月に村社として奉斎されることになったという。
神明造りの神社が多いこの地域の中では珍しく、本殿は古式を残す1間社の春日造り。
例祭は11月23日。「どぶろく祭り」である。800年の伝統がある、とのことだから、ほとんど創建以来からの行事。
当日は10時から神事が行われ、12時にどぶろくの振る舞いがあり、余興がある。14時30分にはもちほりが行われる。杉木立ちと清流に囲まれた境内はほろ酔い気分に包まれる。
米の豊作を神に感謝し、来年の五穀豊穣を祈って行われる祭礼用のどぶろくは、例祭の1ヶ月前から仕込みが始まり、以後は1日3回温度を調べて例祭まで大切に保存される。
その他、春祭が4月3日、夏祭が8月15日。
【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、地域振興、酒造

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