江戸時代には春日神社、式内「坂門神社」の説も、境内に観音堂
[住所]奈良県橿原市中町272
[電話]0744-22-0008
阪門神社(さかとじんじゃ)は、奈良県橿原市中町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「坂門神社(大和国・十市郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
中町集落西南に鎮座する。享保21年(1736年)の『大和志』に式内社として「在中村今称春日」とされて以来、式内社の論社。
寛政3年(1791年)の『大和名所図絵』にも春日神社とある。
ただし、『五郡神社記』のように、南浦の天岩戸神社を式内社「坂門神社」に充てる説もある。
『式内社調査報告』では、「社名の坂門には、坂のある処と、最も低い処の二つの意味があるが、当社は平坦地に所在し、どちらの意味も今日の地形からは当たらない」とあり、当社比定に否定的。
なお、平安時代の寛弘3年(1006年)の天理図書館所蔵文書『大和国弘福寺牒』によれば、十市郡佐位荘二四条六里三坪に 「坂門田」があったとある。
御祭神は武甕槌命。例祭は10月10日。
明治の明細帳では、経津主命・天児屋根命・比売大神をも含めた春日四紳を御祭神としているが、昭和27年(1952年)6月27日の『宗教法人による届出書』では1柱になった。
境内に二間四面の観音堂があり、像高50センチの十一面観音を安置する。余間の位牌に貞享2年(1685年)銘がある。神仏習合の名残をとどめる。
なお、式内社「坂門神社」は、天香山坐櫛真命神社・畝尾坐健土安神社・畝尾都多本神社とともに、「天香山坐四処神社」と称した。
【ご利益】
武運長久・勝運、地域安全
【関連記事】
・天香山坐四処神社 - 奈良県橿原市の古来からの聖地・天香久山を守護する式内4社
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
[電話]0744-22-0008
阪門神社(さかとじんじゃ)は、奈良県橿原市中町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「坂門神社(大和国・十市郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
中町集落西南に鎮座する。享保21年(1736年)の『大和志』に式内社として「在中村今称春日」とされて以来、式内社の論社。
寛政3年(1791年)の『大和名所図絵』にも春日神社とある。
ただし、『五郡神社記』のように、南浦の天岩戸神社を式内社「坂門神社」に充てる説もある。
『式内社調査報告』では、「社名の坂門には、坂のある処と、最も低い処の二つの意味があるが、当社は平坦地に所在し、どちらの意味も今日の地形からは当たらない」とあり、当社比定に否定的。
なお、平安時代の寛弘3年(1006年)の天理図書館所蔵文書『大和国弘福寺牒』によれば、十市郡佐位荘二四条六里三坪に 「坂門田」があったとある。
御祭神は武甕槌命。例祭は10月10日。
明治の明細帳では、経津主命・天児屋根命・比売大神をも含めた春日四紳を御祭神としているが、昭和27年(1952年)6月27日の『宗教法人による届出書』では1柱になった。
境内に二間四面の観音堂があり、像高50センチの十一面観音を安置する。余間の位牌に貞享2年(1685年)銘がある。神仏習合の名残をとどめる。
なお、式内社「坂門神社」は、天香山坐櫛真命神社・畝尾坐健土安神社・畝尾都多本神社とともに、「天香山坐四処神社」と称した。
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