泣沢女神が坐した地、天香具山の聖なる土を祀る社、神武帝が奉斎
畝尾坐健土安神社 奈良県橿原市下八釣町138
[住所]奈良県橿原市下八釣町138
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畝尾坐健土安神社(うねおにますたけはにやすじんじゃ)は、奈良県橿原市下八釣町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「畝尾坐健土安神社(大和国・十市郡)」に比定される式内社(大社)の論社。近代社格では村社。

天香具山の北西に鎮座する。山名と社名の組み合わせが、「坐香山之畝尾木本、名泣澤女神」として、『古事記』に見える。

これは伊邪那美神の死に際して、伊邪那岐神が泣いた際に生じた神・泣沢女神の描写。

古来、天香具山の土は、呪力あるものとして神聖視され、『日本書紀』神武天皇即位前紀己未年2月20日の条に、下記の通りあり、この土の神を祀ったのが当社だという。
天皇、前年の秋九月を以て、 潜に天香山の埴土を取りて、八十の平瓫を造りて、躬自ら斎戒して諸神を祭りたまふ。

遂に区宇を安定むること得たまふ。故、土を取りし処を号けて、埴土と白ふ
御祭神は健土安比売命。当社と天香久山の間に赤埴山という小丘があり、埴安伝承地の石碑が建つ。

『磯城郡誌』は「赤埴山。香久山の西北に接続し、全山赤色粘土で赤焼土器に適する。土人はこれを赤せん山と称し、香久山の中央西側は白色粘土なので、これを白こと称した」と伝える。

『日本書紀』崇神天皇紀には、「倭香山土、裹領巾頭而祈曰『是倭國之物實』乃反之」と見える。一貫して、この地の土が重要視され続けた。

『大倭国正税帳』正倉院文書によれば、奈良時代の天平2年(730年)、神戸の租稲90束のうち4束を祭神料に充てられた。

『新抄格勅符抄』によれば、平安時代の大同元年(806)に大和国に神封一戸を充てられた畝尾神がいる。ただし、これが当社のことか、畝尾都多本神社のことかは不詳。

『日本三代実録』天安3年(859年)1月27日では、従五位下より従五位上に昇叙した。

式内社である天香山坐櫛真命神社・坂門神社・畝尾都多本神社とともに、「天香山坐四処神社」と称した。

江戸時代には天照大神と称していたともいい、『大和志』は当社御祭神を天照大神としている。

明治24年(1891年)の『神社明細帳』は波邇夜須毘売命一座としているが、現在は 天児屋根命も合祀する。これは境内の春日社を本社に合祀したためだという。

例祭は9月28日。なお、式内社「畝尾坐健土安神社」の論社は他に、戒外町の春日神社、南浦町の天香山神社がある。

【ご利益】
土の神、産業振興、事業発展
畝尾坐健土安神社 奈良県橿原市下八釣町
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