平安期の創建、頼朝・家康の故事にちなむ特殊な神事を多く継承
[住所]千葉県山武市白幡824
[電話]0475-82-0096

白幡八幡神社(しらはたはちまんじんじゃ)は、千葉県山武市白幡にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

誉田別尊天照大神天児屋根命を祀る。八幡大神、天照大神、春日大神と称えられ、三社大神とも総称される。

平安時代の寛和元年(985年)、大和国の僧妙香がこの地を訪れ、阿弥陀如来像を奉納し如来寺(現 般若院)を創建した。

その際、山城国の石清水八幡宮より御神影を勧請し、寺の隣地に鎮守神として建立したのが当社の始まり。

治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れ、房総に逃れた源頼朝が、その後鎌倉を目指した際に参拝し、白旗と15本の矢を献じて、源氏の再興と武運長久を祈願したという。

それ以来白旗を掲げるのが習しとなり、白幡八幡と称した。

頼朝は大願成就の後の文治元年(1185年)に社殿と神宝を寄進し、建久3年(1192年)に将兵300騎を従えてお礼参りに訪れた。

その際、頼朝に従った将兵の接待にあげ飯が出され、あげ飯の行事は現在も旧暦9月7日の夜に行われている。

いわゆる「あげ飯」の行事で、1斗笊の白米5升程を釜の湯のたぎっている中に入れ、柄の長いしゃもじでかきまわして炊く。

米粒にしんが少しあるうちに急いで笊を上げ釜の蓋に押しつけ、櫃または桶にあけ、風の入らぬように蓋をしておくという、独特の調理方法を伝えている。

また頼朝は建久7年(1196年)、仕臣4名を派遣し、9月6日から8日にかけて東国鎮護の祭典を行った。

江戸時代の慶長19年(1614年)正月、鷹狩りに訪れた徳川家康が立ち寄り、頼朝の掲げた白旗の旗竿に東金御殿の竹林の竹の寄進を約束した。

現在もこの故事に習って毎年白旗が献ぜられ、その旗竿には東金御殿の竹林の竹が使われる。

いわゆるお竹取りの行事で、旧暦9月7日、県指定有形民俗文化財の「いざりばた」で織られた御旗を御神竹に結び、厄災除けを祈願する神事である。

例祭は旧暦9月9日。「あげ飯」の行事もお竹取りの行事も、例祭を迎えるための行事だと考えられる。

例祭では、お竜頭の舞が奉納される。お竜頭の舞は、大獅子、子獅子、女獅子の3頭で弓旗を先導に十二番、四方固め、弓くぐり、橋がかりの四舞を舞う獅子舞。

やはり頼朝が奉納したのが始まりと伝えられる。この舞に使われるお竜頭は、鎌倉時代の作と伝えられ、現在も社宝として、普段は社殿に祀られている。

例祭の前日である旧暦9月8日と、1月13日には曙の祭典がある。八幡大神、天照大神、春日大神の三社大神に古来からの献立表にもとづく料理(神饌)をささげる儀式。

早朝3時頃から当番の氏子が神饌用の料理をし、6時頃から大太鼓の合図とともに宮司を始め、役付の者、招待者が神前に座し、奏楽に合わせて祭典が執り行われる。

式典後直会で一同その料理を頂く。旧暦9月8日は黒豆のこわめしとなる。

頼朝ゆかり、家康ゆかりの神社は数多くあるが、ここまでその当時の古式な儀式や祭典を数多く継承しているのは全国的にも稀。

【ご利益】
五穀豊穣、無病息災、厄災除け、武運長久・勝運
白幡八幡神社 千葉県山武市白幡
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