落城で700人が自刃、村上の神楽と湯立て神事、古墳とけやき並木
[住所]千葉県八千代市村上433
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七百餘所神社(しちひゃくよしょじんじゃ/ななひゃくよしょじんじゃ、七百余所神社)は、千葉県八千代市村上にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

第91代後宇多天皇の御世、鎌倉時代の弘安年間(1278年-1288年)の創建と伝わる。御祭神は国常立尊

社名の由来は、永禄元年(1558年)あるいは永禄4年(1561年)、米本城落城の際、村上綱清と家臣700名がここに逃れて、全員自刃したことによるという。

これが本当であれば、それ以前は違う名称だったことになる。また、700人もの大量自刃というのも、現実的には疑わしい。自刃は7人だったが、慰霊・鎮魂により過大な数字となった、か。

江戸時代前期の明暦3年(1657年)に社殿を造立、宝永2年(1705年)に改築したという。もともと七百余所大明神と称したが、明治に入り、現社号に改称。

現社殿は、屋根下の木彫りが見事な本殿が明治16年(1883年)、拝殿が明治32年(1899年)の建立。

例祭は10月9日。祈年祭が1月15日で、この双方で市の無形文化財に指定されている「村上の神楽」が奉納される。以前は12座あったとされるが、現在は9座が伝わる。

修祓・座清め・翁の舞・種おろし・宇受売女の舞・湯巫の舞・玉取り様の舞・恵比須の舞・みかぼしの舞。この他に、剣打ちの舞が名のみ伝わる。

祭典の間、氏子は丸餅を12個、神社に奉納し、餅一つを頂いて帰る。奉納された餅は神楽終了時に撒かれる。

祈年祭では「湯立て神事」が行われる。熊笹の束を熱湯に浸して体に振り掛ける。熱湯を全身に浴びて忘我状態になった神主をムラの若者が抱きかかえ拝殿まで運ぶ。

月次祭は毎月9日。中臣祓講で、慶長8年(1603年)以来の伝統がある。

境内には九つの部屋がある末社や、庚申塔、目が特徴的な狛犬などがある。

小道をはさんだ向かいの公園に七百余所神社古墳がある。径20メートル、高さ3メートルの円墳で、市の史跡に指定されている。

墳丘上に3本の巨木が聳えており、そのうちのスギは幹周り4メートル近い巨樹で、市の樹木に指定されている。

今では、公道に近い形になっているが、参道にはケヤキ並木があり、大きいもので樹齢250年、周囲約3メートルあり、「八千代ふるさと50景」に選定されている。

【ご利益】
諸願成就、無病息災、厄災除け
七百餘所神社 千葉県八千代市村上
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