江戸前期の九十九里地方屈指の社殿建築、1月に里神楽「潮祭り」
[住所]千葉県山武郡横芝光町屋形921
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四社神社(ししゃじんじゃ)は、千葉県山武郡横芝光町屋形にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

御祭神は、建速須佐之男命・別雷命・天児屋根命菅原道真公。祇園・賀茂・春日・天神、ある意味ではすごくバランスの良い、良いとこ取りの顔ぶれ。

平安時代の寛平元年(889年)、臣籍降下した高望王が、昌泰元年(898年)9月、上総介に任じられ、上総国武射郡に屋形を造営して赴任。

屋形は、現在も地名としてその名残をとどめる。

延喜元年(901年)9月29日にその屋形の鬼門に当たる地に当社を建立、また延喜2年(902年)5月には寺院を建立したといわれている。

なお、大同元年(806年)の創建という史料もある。天慶2年(939年)、承平天慶の乱に際して朝廷軍が戦勝を祈願した時から「四社大明神」と称された。

おそらくこの際、宮中を中心に乱の元凶と考えられた、当時最も危険とされた怨霊・菅原道真が合祀され、4柱を祀る神社になったのだろう。

他の3柱が京都・奈良の古来からの神で、関東に下向した公家が祀りそうなのに対して、道真だけが異色でもある。

戦国時代の天正14年(1586年)5月には北条氏の臣で坂田城主の井田胤徳が、里見勢の侵攻を退けた栗山川合戦、天正18年(1590年)3月には豊臣秀吉の小田原征伐に伴う蓮沼合戦があり、両戦の兵火に罹って、近くにあった無量寺とともに灰尽に帰した。

現存する本殿は、江戸時代前期の元禄元年(1688年)11月に造営され、宝暦3年(1753年)に改修されたもの。九十九里地方屈指の社殿建築とされる。

村方の他、九十九里浦中や江戸の干鰯問屋あるいは造船家にまで寄付を求め、造営と改修の費用を捻出したという。

江戸時代中期の享保4年(1719年)、神祇官卜部兼敬の奉幣があり、正一位四社大明神と称したが、明治2年(1869年)に現社号に改称、明治6年(1873年)、郷社に列した。

古来より、1月18日の祭礼で「潮祭り」と呼ばれる里神楽が奉納される。現在は1月第3日曜日。大釜に沖合いから運んだ海水を沸かし、郷中の安全と豊漁を祈願する湯立神楽。

敷地799坪の境内には本殿(銅板葺)、幣殿(亜鉛板葺破風造)、拝殿(瓦風銅板葺入母屋造)、社務所(瓦葺入母屋造)が建ち並ぶ。

本殿裏に雌雄の梛(ナギ)の老木が植栽されている。熊野神社との関連も考えられるという。

屋形の地名の由来を裏付けるように、当社の周辺は粉豆遺跡が広がり、昭和60年(1985年)の調査で平安時代の鍛冶遺構が発見されている。

【ご利益】
武運長久・勝運、厄災除け、地域安全、学業・受験合格
四社神社 千葉県山武郡横芝光町屋形
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