日本武尊・仲哀天皇が三穂津姫命と邂逅、1月に特殊神事・お忌祭
杜屋神社 山口県下関市豊浦町大字黒井杜屋
[住所]山口県下関市豊浦町大字黒井杜屋
[電話]083-774-1869

杜屋神社(もりやじんじゃ)は、山口県下関市豊浦町黒井杜屋にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 長門国 豊浦郡「村屋神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

長門国三宮とされる場合がある。しかし、通常、長門国三宮は亀山八幡宮を指す場合が多いか。

当社蔵の延宝3年(1675年)の『大宮司堀立亀松丸口伝』によれば、日本武尊が筑紫からの帰途、荒波に見舞われた際、三穂津姫命の奇魂幸魂と名乗る貴女に導かれて、室津郷毛呂の長浜に無事に到着、そのため奉斎したという。

また、元文2年(1737年)の『大宮司浜田出羽守長元誌』には、仲哀天皇豊浦宮(現 忌宮神社)に行幸した際、毛呂の里に霊光があったため訪ねたところ、三穂津姫命の神託を受けたため、奉斎したとも伝わる。

二つの説の主人公は父と子であり、時代的にもそう離れてはいないと考えられる。

主祭神は三穂津姫神。現在は、厚母八幡宮・萩尾八幡宮を合祀し、仲哀天皇・応神天皇神功皇后を配祀する。

楠材で造られた二体の随身像で、応永6年(1399年)の墨書がある木造随身椅像が現存する。

戦国時代の天文4年(1535年)3月、大内義隆が社殿を造営、太刀を奉納した。永禄12年(1569年)3月には毛利元就が改築し、社領29石を寄進した。

以上に関する大内義隆、毛利元就などの古文書があり、町の文化財に指定されている。また、神楽面、土俗面などの能面十余点がある。

明治7(1874年)2月、郷社に列し、大正12年(1923年)1月には県社に昇格した。

例祭は10月14日・15日で秋祭。春祭が4月14日・15日。1月18日夜から1月25日朝までお忌祭という特殊神事がある。

お忌祭では、神職は社務所に籠もり、氏子も家庭で物忌に服し、期間中は歌舞音曲・入浴・洗濯・牛馬の使用も禁止される。

【ご利益】
水難除け、海上安全、厄災除け、諸願成就
杜屋神社 山口県下関市豊浦町黒井杜屋
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