上陸した少名彦神と協力して毒蛇悪鳥を退治し、当地を平定した神
阿良加志比古神社 石川県七尾市山崎町カ30
[住所]石川県七尾市山崎町カ30
[電話]0767-59-1735

阿良加志比古神社(あらかしこひこじんじゃ)は、石川県七尾市山崎町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「阿良加志比古神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

御祭神は阿良加志比古神。記紀には見えない神。昔、当地が未開の時、この地方に住んでいた老翁で、大呑郷の長者だった。

郷内に毒蛇悪鳥などが蟠踞し、人蓄を害していた。翁は身心を尽してこの除去に努め、海から来着した少彦名命と諜って、毒蛇悪鳥を誅伐したと伝わる。

阿良加志比古神は当地に、熊渕川の長者となった少名彦神は黒崎関縄に坐したという。当社の東方約3.5キロ、今の市内黒崎町の宿那彦神像石神社である。

創建年代は不詳。古来より、大呑熊六合郷の総社として崇敬された。山崎村外73村の氏神とされる。4月1日の例大祭には御内渡幸解除式があり、垂姫ヶ崎での弓神事が行われる。

奈良時代の天平宝字8年(764年)、勅使藤原永平が神鏡2面を奉納したと伝えられている。また、奈良正倉院の御物、丹物の調庸銘が当地名に合致している。

『万葉集』に収録されている、大伴家持の歌は、当地近辺を歌ったものとの説がある。
題詞
珠洲郡より船を発し、治布に還る時に、長浜の湾に泊まり、月の光を仰ぎ見て作る歌一首


珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり
これらの由緒は、宿那彦神像石神社と共有しており、由緒通り、両社が対の神社だったことが分かる。なお、宿那彦神像石神社は現在、当社の兼務神社である。

天正年間(1573年-1593年)の上杉謙信侵攻による兵火のため、古記録などを失ってしまったという。

明治14年(1881年)2月17日、郷社に列し、明治41年(1908年)4月8日、神饌幣帛料供進神社に指定された。

七尾市中島町宮前に久麻加夫都阿良加志比古神社という、やはり式内社がある。御祭神は同一名だが、由緒が違い、全く別の神社。

【ご利益】
地域安全、地域振興、産業振興、事業成功
阿良加志比古神社 石川県七尾市山崎町
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