大名持命とともに能登を巡行した少彦名命を祀る、3月には平国祭
[住所]石川県鹿島郡中能登町金丸よ1
[電話]0767-72-3376

宿那彦神像石神社(すくなひこかみかたいしじんじゃ)は、石川県鹿島郡中能登町金丸にある神社。『延喜式神名帳』にある「宿那彦神像石神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

神代、御祭神の少彦名命は、大名持命とともに能登国を巡行、多気倉長命と協力して国土の平定開発に神功を立て、その霊を神石に留め、金丸宮地に鎮まったと伝わる。

多気倉長命を祀る神社が、近隣の能登生国玉比古神社で、やはり式内社だが、現在は当社が兼務している。

第10代崇神天皇の時代、この神石が当社に奉安された。

平安時代の貞観2年(861年)6月9日、桜井宿禰基継を勅使として当社に参向させ、位階正三位、神地として4丁余が下賜され、官社に列した。

この勅使参向を記念して、現在の例祭も月遅れの7月9日となり、勅使祭が斎行されている。別名は麦まつり。

江戸時代は「金丸明神」と称した。明治初年に村社に列し、明治6年(1873年)には金丸社と改称したが、明治10年(1877年)3月、内務省により氣多大社の摂社とされた。

その後、現社号に復称して、明治13年(1880年)3月25日、郷社に列し、明治41年(1908年)には神饌幣帛供進神社に指定せれた。

明治41年には、鎌宮諏訪神社(建御名方命)、住吉神社(中筒男命)、春日神社(大名持命)を合祀した。

氣多大社の祭典である3月の平国祭(くにむけのまつり)に参加する。氣多大社の御祭神大己貴命が神輿渡御して当社拝殿で一泊する。

翌朝、当社御祭神の少彦名命同席のもと、七尾市所口の気多本宮まで渡御する。まさに、大己貴命・少彦名命が北陸道を平定した故事にちなむ。

この時、宮地区より調進の白団子を盛り、カツキの箸をそえ、青菜・干大銀とともに献ずる。

現在は、氣多大社の境外末社ともされる。能登生国玉比古神社の他、餘喜比古神社(余喜比古神社)や、御門主比古神社も含め、兼務している。御門主比古神社は羽咋神社が兼務とも。

なお、式内社「宿那彦神像石神社」の論社は他に、七尾市黒崎町に同名の神社がある。

【ご利益】
地域安全、地域振興、病気平癒
宿那彦神像石神社 石川県鹿島郡中能登町金丸
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