往古は無比の大社だった式内社、後に御門主比古神社に合祀される
[住所]石川県羽咋市大町ヌ23
[電話]0767-72-3376 - 宿那彦神像石神社
餘喜比古神社(よきひこじんじゃ、余喜比古神社)は、石川県羽咋市大町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「餘喜比古神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社(小社)。
現在は、やはり式内社で、近隣の御門主比古神社に合祀されているという。現在地には石碑などが残る。
ただし、石川県神社庁では、独立の神社として今も扱っており、宿那彦神像石神社の兼務神社としている。
石川県神社庁では、御門主比古神社が羽咋神社の兼務神社としているが、御門主比古神社の境内案内には宿那彦神像石神社の宮司名が記載されている。
当社の御祭神は素戔嗚尊。しかし、江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)までは、餘喜比古神(余喜比古神)と豊城入彦命を奉祀していたとも。
古くより餘喜郷(王待郷とも伝える)の惣社で、大町村に鎮座していた。社領は領主より寄進が多く、社殿も壮観を極め、無比の大社であったと伝える。
しかし、戦国時代の天正8年(1580年)、兵火に罹り、次第に衰微した。
社号を大将軍社とも呼んだが、明治8年(1875年)、式内社に認定され、現社号に改称した。
明治18年(1885年)4月には社殿が建立されたが、後に御門主比古神社に合祀された。
当社の神池として2ヶ所ある。また、餘喜森・餘喜地と呼ぶ田畑がある。
式内社「餘喜比古神社」について、一時期、中能登町の能登部神社が論社と主張していたことがあったという。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、地域安全、地域振興

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・石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧
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餘喜比古神社(よきひこじんじゃ、余喜比古神社)は、石川県羽咋市大町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「餘喜比古神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社(小社)。
現在は、やはり式内社で、近隣の御門主比古神社に合祀されているという。現在地には石碑などが残る。
ただし、石川県神社庁では、独立の神社として今も扱っており、宿那彦神像石神社の兼務神社としている。
石川県神社庁では、御門主比古神社が羽咋神社の兼務神社としているが、御門主比古神社の境内案内には宿那彦神像石神社の宮司名が記載されている。
当社の御祭神は素戔嗚尊。しかし、江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)までは、餘喜比古神(余喜比古神)と豊城入彦命を奉祀していたとも。
古くより餘喜郷(王待郷とも伝える)の惣社で、大町村に鎮座していた。社領は領主より寄進が多く、社殿も壮観を極め、無比の大社であったと伝える。
しかし、戦国時代の天正8年(1580年)、兵火に罹り、次第に衰微した。
社号を大将軍社とも呼んだが、明治8年(1875年)、式内社に認定され、現社号に改称した。
明治18年(1885年)4月には社殿が建立されたが、後に御門主比古神社に合祀された。
当社の神池として2ヶ所ある。また、餘喜森・餘喜地と呼ぶ田畑がある。
式内社「餘喜比古神社」について、一時期、中能登町の能登部神社が論社と主張していたことがあったという。
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