江戸中期から始まった「十二面神楽」が有名、本殿が県の文化財
[住所]千葉県山武市蓮沼イ1904
[電話]0475-80-1202
五所神社(ごしょじんじゃ)は、千葉県山武市蓮沼にある神社。近代社格では郷社。九十九里「浜の七福神」の大黒天。参拝すれば、御朱印を頂ける。七福神のスタンプもある。
平安時代末期の承安元年(1171年)の創建と伝えられる。もともと五所大権現と呼ばれた。
天照大神を主祭神とし、誉田別尊・天児屋根命・表筒男命・素登織姫命の5神を祀るが、当初からこの形態だったのかどうかは不詳。
もとは神明神社があり、八幡・春日・住吉などを合祀したようにも見える。素登織姫命は他ではほとんど見えない神名。衣通姫のことか。
治承4年(1180年)には石橋山の戦いに敗れた源頼朝がしばらくこの地にとどまり、武運長久・国土安泰を祈願したといわれ、中世以降は上総国山辺荘の総社であった。
安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)に社殿を造営、下総芦戸に封じられた木曾氏と当社の神官に縁故があったことから、造営資金の提供を受けたという。
その後台風で倒壊し、現在の本殿は正徳元年(1711年)12月の再建である。拝殿には宝暦11年(1761年)の棟札が残る。
本殿は、桃山時代の遺風を残す建造物で、唐破風・千鳥破風、入母屋造、屋根は栩葺き、多くの平面的な彫刻を配している点は他に類例が少なく、県の有形文化財に指定されている。
享保2年(1717年)、神祇官より正一位の神階を贈られ、明治5年(1872年)に現社号に改称、大正11年(1922年)、郷社に列した。
例祭は8月1日。毎年2月第3日曜日に奉納される「十二面神楽」が有名。
この神楽は、出羽山形藩主だった堀田正亮が、江戸時代中期の延享3年(1746年)に曽祖父堀田正盛の旧領佐倉に戻れた喜びとして五所神社へご供米40俵を奉納。
その返礼として、近隣の神官が堀田氏の武運長久と氏子の安全を祈願し、当社神前で神楽を奉納したのが始まりといわれている。
九十九里浜の中央とされる箭挿神社(やさしじんじゃ)という小祠は当社が管理している。
【ご利益】
大漁満足、商売繁盛、開運招福
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五所神社(ごしょじんじゃ)は、千葉県山武市蓮沼にある神社。近代社格では郷社。九十九里「浜の七福神」の大黒天。参拝すれば、御朱印を頂ける。七福神のスタンプもある。
平安時代末期の承安元年(1171年)の創建と伝えられる。もともと五所大権現と呼ばれた。
天照大神を主祭神とし、誉田別尊・天児屋根命・表筒男命・素登織姫命の5神を祀るが、当初からこの形態だったのかどうかは不詳。
もとは神明神社があり、八幡・春日・住吉などを合祀したようにも見える。素登織姫命は他ではほとんど見えない神名。衣通姫のことか。
治承4年(1180年)には石橋山の戦いに敗れた源頼朝がしばらくこの地にとどまり、武運長久・国土安泰を祈願したといわれ、中世以降は上総国山辺荘の総社であった。
安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)に社殿を造営、下総芦戸に封じられた木曾氏と当社の神官に縁故があったことから、造営資金の提供を受けたという。
その後台風で倒壊し、現在の本殿は正徳元年(1711年)12月の再建である。拝殿には宝暦11年(1761年)の棟札が残る。
本殿は、桃山時代の遺風を残す建造物で、唐破風・千鳥破風、入母屋造、屋根は栩葺き、多くの平面的な彫刻を配している点は他に類例が少なく、県の有形文化財に指定されている。
享保2年(1717年)、神祇官より正一位の神階を贈られ、明治5年(1872年)に現社号に改称、大正11年(1922年)、郷社に列した。
例祭は8月1日。毎年2月第3日曜日に奉納される「十二面神楽」が有名。
この神楽は、出羽山形藩主だった堀田正亮が、江戸時代中期の延享3年(1746年)に曽祖父堀田正盛の旧領佐倉に戻れた喜びとして五所神社へご供米40俵を奉納。
その返礼として、近隣の神官が堀田氏の武運長久と氏子の安全を祈願し、当社神前で神楽を奉納したのが始まりといわれている。
九十九里浜の中央とされる箭挿神社(やさしじんじゃ)という小祠は当社が管理している。
【ご利益】
大漁満足、商売繁盛、開運招福
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