熊野三社大権現、3月15日に修験道の流れ組む「内黒田はだか参り」
[住所]千葉県四街道市内黒田629
[電話]-
熊野神社(くまのじんじゃ)は、千葉県四街道市内黒田にある神社。近代社格では村社。内黒田熊野神社とも。御朱印の有無は不明。
創建は南北朝時代の永和2年(1376年)と伝わる。熊野三社大権現と呼ばれた。御祭神は伊弉諾尊・伊弉册尊・事解男命。
市内亀崎の同名神社と同様、旧臼井荘領主・桓武平氏流千葉一族臼井氏とゆかりがあるという。
江戸時代後期から幕末にかけて、文政2年(1818年)に建て替え、慶応元年(1865年)に本殿の修復の記録が残る。
明治元年(1868年)、熊野三社大権現から現社号に改称。明治34年には近隣の琴平神社・日枝神社・八坂神社、御祭神としては大山祇命・大己貴命・素盞鳴命を合祀した。
昭和55年(1980年)、本殿屋根を葺き替え、拝殿を新築した。境内社に琴平神社などがある。近隣には当社所縁の真言宗西光院がある。
例祭は3月15日。「内黒田はだか参り」が行われる。修験道の流れを組むと考えられる伝統行事で、遅くとも江戸時代から行われてきた。
氏子男性の「裸坊」が、焚き火の側で水をかけ合い身を清め、鳥居と拝殿の間を七往復する。
水に浸した長さ約30センチメートルの稲わらの束を拝殿へ3本投げこみ、散らばった形の様子でその豊凶を占い、祈願する。
また、鳥居脇に焚かれる「かまやき」にあたると、その年は無病息災になると伝えられている。
「中入り」という休憩・暖を取り、地区の女性たちが太巻き、おはぎなどの地元料理を裸坊に振る舞う。
続いてさらに五往復し、最後に本堂を三周した後、神社総代の胴上と北辰妙見信仰の名残りと考えられる伝統の「妙見締め」で終了する。
市の無形民俗文化財に指定されている。事前に連絡すれば、一般でも参加が可能だという。
【ご利益】
五穀豊穣、無病息災、厄災除け

【関連記事】
・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
熊野神社(くまのじんじゃ)は、千葉県四街道市内黒田にある神社。近代社格では村社。内黒田熊野神社とも。御朱印の有無は不明。
創建は南北朝時代の永和2年(1376年)と伝わる。熊野三社大権現と呼ばれた。御祭神は伊弉諾尊・伊弉册尊・事解男命。
市内亀崎の同名神社と同様、旧臼井荘領主・桓武平氏流千葉一族臼井氏とゆかりがあるという。
江戸時代後期から幕末にかけて、文政2年(1818年)に建て替え、慶応元年(1865年)に本殿の修復の記録が残る。
明治元年(1868年)、熊野三社大権現から現社号に改称。明治34年には近隣の琴平神社・日枝神社・八坂神社、御祭神としては大山祇命・大己貴命・素盞鳴命を合祀した。
昭和55年(1980年)、本殿屋根を葺き替え、拝殿を新築した。境内社に琴平神社などがある。近隣には当社所縁の真言宗西光院がある。
例祭は3月15日。「内黒田はだか参り」が行われる。修験道の流れを組むと考えられる伝統行事で、遅くとも江戸時代から行われてきた。
氏子男性の「裸坊」が、焚き火の側で水をかけ合い身を清め、鳥居と拝殿の間を七往復する。
水に浸した長さ約30センチメートルの稲わらの束を拝殿へ3本投げこみ、散らばった形の様子でその豊凶を占い、祈願する。
また、鳥居脇に焚かれる「かまやき」にあたると、その年は無病息災になると伝えられている。
「中入り」という休憩・暖を取り、地区の女性たちが太巻き、おはぎなどの地元料理を裸坊に振る舞う。
続いてさらに五往復し、最後に本堂を三周した後、神社総代の胴上と北辰妙見信仰の名残りと考えられる伝統の「妙見締め」で終了する。
市の無形民俗文化財に指定されている。事前に連絡すれば、一般でも参加が可能だという。
【ご利益】
五穀豊穣、無病息災、厄災除け

【関連記事】
・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
コメント