奈良期創建、室町後期の社殿、三番叟と花踊り、大晦日の大火祭
[住所]千葉県南房総市加茂2070
[電話]-
賀茂神社(かもじんじゃ)は、千葉県南房総市加茂にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
かつての別当寺日運寺の住持日翁が文久元年(1861年)に著した『賀茂社略縁起』によれば、奈良時代の和銅5年(712年)の創祀という。御祭神は別雷命など。
天正年間(1573年-1593年)、社領朱印地3石を寄せられ幕末まで保持した。また明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
一間社流れ造り屋根杮葺きの本殿は、現存する銘札から天正2年(1574年)の造営とみられ、蛙股や斗供、妻飾り・軒まわりなどの構成に室町時代末期の特色をよく残し、県の有形文化財に指定されている。
例祭は8月1日・2日で八朔祭。和銅5年8月2日が創建とされているため。県の無形民俗文化財に指定されている「加茂の三番叟」と「加茂の花踊り」が奉納される。
「加茂の三番叟」は、少年6人が主演する奉納舞で、領主里見氏の重臣・正木大膳の社殿寄進に伴ない、天正5年(1577年)から取り入れられたという。
翁、千歳黒式尉の舞子3名(少年)、太鼓1名(大人)、小鼓3名(少年)、笛1名(大人)、脇役1名(大人)によって演じられる。
「加茂の花踊り」は、八乙女舞とも呼ばれ、白衣に緋袴の巫女姿の8人の少女が、扇や手籠、紙花などを手にして舞う優雅な舞で、江戸時代初期からの伝統。
毎年12月31日19時から、大火祭(おおびまつり)が行われる。生木を3-4メートルの高さに積み上げて大祓いを行い、深夜に火をつけ、歳神の降臨を仰ぎ、悪霊を祓って新たな年を迎える行事。
心木の燃えて倒れる方向を吉方とし、各家では残火をその年の火種として枝木に移して持ち帰り、煮炊きに使用したり、灰を家の四方に撒いて病魔を追い払う。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、子育て、身体壮健
【関連記事】
・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
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賀茂神社(かもじんじゃ)は、千葉県南房総市加茂にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
かつての別当寺日運寺の住持日翁が文久元年(1861年)に著した『賀茂社略縁起』によれば、奈良時代の和銅5年(712年)の創祀という。御祭神は別雷命など。
天正年間(1573年-1593年)、社領朱印地3石を寄せられ幕末まで保持した。また明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
一間社流れ造り屋根杮葺きの本殿は、現存する銘札から天正2年(1574年)の造営とみられ、蛙股や斗供、妻飾り・軒まわりなどの構成に室町時代末期の特色をよく残し、県の有形文化財に指定されている。
例祭は8月1日・2日で八朔祭。和銅5年8月2日が創建とされているため。県の無形民俗文化財に指定されている「加茂の三番叟」と「加茂の花踊り」が奉納される。
「加茂の三番叟」は、少年6人が主演する奉納舞で、領主里見氏の重臣・正木大膳の社殿寄進に伴ない、天正5年(1577年)から取り入れられたという。
翁、千歳黒式尉の舞子3名(少年)、太鼓1名(大人)、小鼓3名(少年)、笛1名(大人)、脇役1名(大人)によって演じられる。
「加茂の花踊り」は、八乙女舞とも呼ばれ、白衣に緋袴の巫女姿の8人の少女が、扇や手籠、紙花などを手にして舞う優雅な舞で、江戸時代初期からの伝統。
毎年12月31日19時から、大火祭(おおびまつり)が行われる。生木を3-4メートルの高さに積み上げて大祓いを行い、深夜に火をつけ、歳神の降臨を仰ぎ、悪霊を祓って新たな年を迎える行事。
心木の燃えて倒れる方向を吉方とし、各家では残火をその年の火種として枝木に移して持ち帰り、煮炊きに使用したり、灰を家の四方に撒いて病魔を追い払う。
【ご利益】
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