弟橘姫の御袖が到着、翌日には遺骸も漂着、ゆかりの「鏡ヶ池」
[住所]千葉県木更津市吾妻2-7-55
[電話]0438-22-7711

吾妻神社(あづまじんじゃ)は、千葉県木更津市吾妻にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征の際、相模国から上総国に渡ろうとした時、海上で嵐に襲われ、妃の弟橘姫が海に身を投じることで嵐を鎮めた(『古事記』該当部分)。

『古事記』では櫛だが、当社伝では、数日後に海岸に御袖が流れ着いたので、この御袖を納める社を建立したのが当社の創祀。御祭神は弟橘姫命。

地名の「吾妻」も当社や、その伝承である日本武尊の「吾妻はや(我が妻よ)」と言った故事に由来する。

社伝によれば、御袖が流れ着いた翌日には弟橘姫の遺骸も当地に流れ着き、そのため、海辺を骸止浜と呼ぶようになったという。そこで日本武尊は当地に陵を築き、弔ったという。

昔は吾妻の森と呼ばれ、森の中心に水がきれいに澄んだ形の良い池があった。

日本武尊や従者たちはその池の水で喉を潤し、水面を鏡の代わりにし、疲れ果てた己の姿を見て、身なりを整えたという。

また、その池は弟橘姫が使った鏡を沈めた所とも伝えられ、以来この池のことを「鏡ヶ池」と呼ぶ。現在の鏡ヶ池は古い池を修復したもの。

江戸時代中期に著された江戸の地誌『江戸砂子』に、「君去津吾妻大明神は即ち立花姫の霊社也」と見える。

境内にある当社号碑の側面には、日本武尊が弟橘姫を偲びうたったとされる「君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影を 見るぞ悲しき」が彫られている。この歌は『古事記』には収録されていない。

なお、当社御神体との関わりの由緒を伝える神社として、神奈川県横浜市中区に吾妻神社がある。

【ご利益】
夫婦和合、諸願成就
吾妻神社 千葉県木更津市吾妻
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