水と土の神を奉斎、「立木」の地名は日本武尊の故事にちなむ
[住所]茨城県北相馬郡利根町立木882
[電話]0297-68-7278

蛟蝄神社(こうもうじんじゃ)は、茨城県北相馬郡利根町立木にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 下総国 相馬郡「蛟蝄神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

第7代孝霊天皇3年、現在の門の宮(かどのみや)に水神の罔象女大神を祀ったのに始まる。当社では罔象女大神1柱を主祭神とする。

第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征のために当社で祈願したという伝承が残る。

その時、文馬(かざりうま)を木に繋いだということから、地名が立木(たつぎ)、神域を文間(もんま)と呼ぶようになったという。

下って飛鳥時代の第42代文武天皇2年(698年)、土の神である埴山姫大神を合祀した。一般的には、この年を創建とするという。埴山姫大神は現在、相殿神の1柱。

社名に由来は諸説あるが、往古、付近が海であったころの大地の形が蛟(みつち=伝説上の龍)に似ていたためとされる。

水害や民家が近いという理由で、詳しい年代は不明ながら、社殿を東の高台、現在の奥の宮に造立した。現在も創祀の地である門の宮は残され、御祭神を分祀し、奉斎されている。

句句廻馳大神軻遇突知大神金山彦大神の3神が従来からの相殿神であることが判明している。

明治4年(1871年)7月、郷社に列した。明治41年(1908年)9月、無格社だった四社神社(武甕槌命経津主命岐神神皇産霊神)を合祀した。

例祭は旧暦9月15日で例大祭、「ばかまち」「馬鹿待ち」の名で親しまれている。以前は当社の神馬と鹿島の神鹿との交歓のある日とされた。

例祭では、湯立て神事や御衣焚き神事が行われる。

平成28年(2016年)に公開され、大ヒットとなった新海誠監督の映画『君の名は。』で出てくる宮水神社の鳥居のモチーフになったという(公式twitter)。

境内社の琴平神社

大物主命を祀る。琴平神社には以下の神々が合祀されている。

明治42年(1909年)9月に東文間村社稲荷神社(宇気母智能命)と惣新田の村社八坂御社(天照大神素盞嗚尊)・無格社保食神社(太田命・保食命)、加納新田村社厳島神社(市杵島姫命)。

明治43年(1910年)5月に立崎村社水神社(罔象女命)、福木村社稲荷神社(宇気母智能命)、同年7月に福木無格社天神社(菅原道真)、大神宮(天照大神)。

明治45年3月に奥山村社八幡神社(誉田別命)。

深い井戸に落ちたおばあさん

過去には深い井戸が、鳥居をくぐって本殿へいく途中、参道の西側のやぶの近くにあったという。

明治時代末期、おばあさんがこの井戸に誤って落ちてしまった時、白いひげを生やしたおじいさんに抱えられたために傷一つせずに無事だったという伝承がある。

白いひげを生やしたおじいさんこそが立木の明神様、つまり当社の神とされたという。しかし、当社の主要2柱は女神なのではあるが。

笠脱沼と蓑掛け榎

当社付近にある笠脱沼にも伝承が残る。昔、大田羅(だいだら)の神が当地で休んでいた際、笠を脱いだ。その重みで凹んで水がたまったのが笠脱沼(笠貫沼)だという。

また、その時、大田羅の神は、近くにあった榎の木に蓑を脱いで掛けたという。その木のことが蓑掛け榎と呼ばれるようになった。

なお、この笠脱沼の水で、当社例大祭の湯立て神事が執行されている。また、沼から龍神様が舞い上がって当社に向かったという伝承も残る。

絵馬「繋ぎ馬図」

門の宮には絵馬「繋ぎ馬図」が所蔵されている。江戸時代中期の正徳元年(1711年)に狩野元信が描いたものを、領主の松平伊賀守が奉納したもの。

この馬が飛び出して、周辺の稲を食べるなどの悪さをしたため、狩野元信にお願いして、手綱を書き足すようお願いしたという逸話が残されている。

分社

取手市和田に鎮座する天正2年(1574年)創建の蛟蝄神社、龍ケ崎市須藤堀に鎮座する貞享元年(1684年)創建の須間神社は当社を分祀して奉斎したもの。

【ご利益】
安産、厄災除け、方除け、学業・受験合格、商売繁盛、家内安全など(公式HP
蛟蝄神社 茨城県北相馬郡利根町立木
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